韓国の結婚式

11月17日、ソウル市での、韓国人の親友の息子さんの結婚式に出席した。これまで、中国、ベトナムでの教え子の結婚式の経験はあるが、韓国の結婚式に出席するのは初めて。韓国の教え子から服装、お祝い金のこと、前もって情報を得て出席した。

新郎、新婦のお父さんが中小企業の社長さんということもあり、出席者500人の盛大な結婚披露宴。受付は日本と同じで、記名してお祝い金を渡す。その後、開演までの時間は、式場横の庭園でドリンクサービスを受けて過ごす。

宴会場の入口横には新郎、新婦(後ほど、新郎も加わる)の両親がお出迎え。

420人収容の巨大なホール。右側は長いバージンロード(このホールに全ての出席者の席が設けられないので、100人収容の別室が設けられた。式の様子はスクリーンに映し出される)

式次第は日本とは少し違うので、紹介する。
①新郎、新婦のお母さんが揃って入場、②続いて新郎入場、③新婦がお父さんと入場、④新郎に新婦を引き渡す、

バージンロードを新婦と新婦のお父さんが歩き、新郎に新婦を引き渡す様子

⑤新郎、新婦が両親に挨拶、⑥仲人役の新郎の恩師の大学教授による新郎新婦に対するスピーチ、

舞台の前面のスクリーンに映し出された仲人役の大学教授によるスピーチの様子

⑦記念撮影、⑧新郎の友人による歌によるお祝い、⑨お色直し、⑩スライドショー、⑪ウエディングケーキ入刀、⑫新郎新婦、ご両親が各テーブルにお礼の挨拶回り、⑬三々五々に退席、⑭祝宴終了後、身近の親族のみが民族服に着替えて懇親、その後記念撮影

宴席の様子(新郎サイド)
特に式の終わり方が日本とは違い、新郎新婦の両親への感謝の言葉、花束の贈呈がないうえ、新郎、新婦、ご両親の見送りもなし。これは、中国、ベトナムも同じで、日本のやり方が独特なのでしょう。
式は12時30分に始まり、約2時間で終了。式場、テーブル席を飾っていた生け花は、祝宴終了後、係員が一斉に抜き去り、宴会場を出たホールでスタッフ5,6名で多くの希望者に花束として渡して華やかでした。

万博公園・日本庭園の紅葉

暖かい秋の一日、万博・日本庭園を訪れた。この日本庭園は、昭和45年(1970年)に万博開催時に造園された、広さ約26万m2の「昭和の名庭園」。東西に細長く、庭園の西端の源泉から東に流れる水の「流れ」をテーマとして設計されている。

10時前に日本庭園前の広大な駐車場に到着。月曜日で、観光客はまばら。日本庭園前ゲートを右折し、小高い丘を登ると、「平和のバラ園」に。

バラ園の向こうに太陽の塔とEXPOCITYの大観覧車が望める

色とりどりの満開のバラが一面に広がるバラ園を下ると、日本庭園の正門に。

日本庭園の正門

園内は開園間もないこともあり、広大な公園にひと気はなく、手入れされた美しい庭園は静寂そのもの。正門前には、地元山田の同好会が出展した菊が展示されていた。

日本庭園を説明する看板(東西に長い、この庭園を左周りで散策)

正門を左折し、よく整備された木立、竹林を通り抜けて「深山の泉」に。

手入れの行き届いた散策道路

整備された竹林

深山の泉

木漏れ日の滝(ここから湧き出る水が庭園を巡っている)
「深山の泉」を右折し、西から東に向かって流れるせせらぎに沿って散策。花が少ないこの時期、赤色、白色のサザンカがひと際目を引く。モミジの紅葉はまだ少し早いが、場所によっては見ごろのモミジも。


サザンカの花
今年は台風21号の影響で葉が落ちたこともあり、どこも紅葉はそれほどでもないのが残念である。程なく、枯山水に。松の洲浜を横切る。


北側の道を行くと、左側に大きな芝生の築山、右側に大きな池(心字池)が見える。こちらから、日本庭園の中央休憩所越しに、太陽の塔とEXPOCITYの大観覧車が望める。心字池を一周して今回の日本庭園散策は終了。中央休憩所前からの眺めは最高。

中央休憩所前からは、心字池越しに芝生の築山を望む

松の洲浜から心字池への流れ込む地点の紅葉

中央休憩所には、70年万博の様子を紹介するビデオルームがあり、懐かしい開会式映像(昭和天皇、皇后、皇太子、美智子さま等)を楽しむことができた。

日本庭園正門の屋根越しに見える太陽の塔と大観覧車

 

青島市での日中韓学生ワークショップ

7月30日―8月1日、中国・山東省の青島市で開催された第11回の日中韓学生ワークショップに出席した。この学生ワークショップ、2008年に韓国・釜山国立大学・金研究室の大学院の学生が熊本大学・古川研究室の見学を機に始まったもので、英語での研究発表の経験を積ませること、人脈構築を目的としたものである。
その後、中国・大連理工大学が加わり、日中韓の三大学の学生ワークショップとして毎年夏休みを利用して開催されてきた。私の定年退官後は、大阪大学の池教授に日本側の幹事を依頼し、大阪大学、釜山国立大学、大連理工大学の三大学で交互にワークショップを開催してきた。日本側からは、大阪大学に加えて、山梨大学、北里大学もメンバーとして加わっている。今年度はこの日中韓学生ワークショップに参加する大学を増やすことを目的に、熊本大学と学術交流協定大学である、山東大学の倪寿清(Ni)副教授に開催を依頼した。副教授と大連理工大学の喬森教授の尽力もあり、今回は80人の参加者で、山東大学の近くの青島中信証券培訓中心で開催された。

青島中信証券培訓中心の宿舎からの眺め。右の建物がワークショップが行われた研修センター

ワークショップの立て看板

青島市を訪れるのは今回で3回目である。青島市は人口900万人の副省級の大都市で、日本人には青島ビールの生産地として知られているが、現在は中国の海洋産業の中心であると同時に、東部沿岸の重要な経済中心で、多くの製造業やハイテク産業基地が立地し、非常に活気溢れる大都市である。
今回のワークショップでは、7月30日に26題の口頭発表があり、活発な質疑応答がなされた。

OHPの写真は青島キャンパスに新しく建設された山東大学環境学院の建物

二人のChairmen(左:大連理工大学・喬教授、右:山東大学・倪副教授

ワークショップの後、先生方の投票で選ばれた優秀発表者5人に、倪副教授から優秀発表賞が贈られた。懇親会では、参加者をシャッフルした円卓で、美味しい料理と青島ビール、煙台ワインで盛り上がり、交流が深まった。

懇親会の様子(左から、大連理工大学喬教授、全教授、山東大学李教授)

7月31日は、エクスカーション。山東大学のバスで市内の青島ビール博物館の見学に。市内に入ると交通渋滞が激しい。地下鉄網の早期完成が待たれている。

青島ビール博物館前のビール通りでは多くの飲食店が並ぶ

青島ビール博物館では、15人が英語のワイアレスガイドを受けた。この博物館は1903年に建造された青島ビールの創業地工場に設立されたもので、多くの観光客で賑わっている。

青島ビールの市街地の工場(輸出用のビールの生産がメイン)

ビール製造に大切なものを示すパネル。(大麦、ホップ、酵母、水が大切)

ビール工場見学ルートの最後の試飲コーナーの賑わい

製造ラインの見学の後、ろ過前のビールとピーナッツで青島ビールを楽しむ。その後、瓶詰ラインを見学の後、出口前でろ過後のビールを飲み、お土産物を購入。
この後、人気のレストランで昼食。

昼食の料理(中央はイカ墨を練りこんだ餃子、テーブルの中央にはトウモロコシの粉で作った餃子)

昼食後、ドイツ人街で人気の観光スポット「八大関」を見学。八大関は、1930年代に外国官僚(特にドイツ人)や富裕層の別荘地として開発されたもので、現在でも当時の洋館が多く残っている。2010年 第1回「中国歴史文化名街」の1つに選定された。広い道路に大きく成長した街路樹、広い庭付の洋館た立ち並ぶ、人気のスポット。結婚式の前撮りが至る所で行われている。

木々に囲まれた洋館

高い木立に囲まれた道路

「八大関」を海に向かって下ると、青島第二海水浴場に。細かい砂のビーチで多くの海水浴客で賑わっている。

青島第二海水浴場(沖合には大型コンテナ船が行き来する)

中央左の建物はシャワールーム

水質は決していいとは言えない。我々の前に、ショベルカーが走ってきた。ビーチで集めてきたアオサを運んできたもので、待っていたダンプカーが持ち去った。

回収したアオサをダンプカーに移す

青島中心部から、宿舎の青島中信証券培訓中心までは2時間もかかることから、4時過ぎに「八大関」を後にした。

労山区の花崗岩が風化した岩峰

途中に、中国海洋大学、山東大学の正門、海水温泉センターを通り過ぎ宿舎まで。

中国海洋大学の正門

山東大学青島キャンパスの正門

宿舎近くの海洋温泉レジャーセンターの正門

 

内モンゴル自治区での植林(2018年6月)

2018年6月8日(金)に中国・内モンゴル自治区カンジカに植林に出かけた。カンジカでの植林は、鹿児島大学名誉教授の野崎勉先生が主宰して始めた活動で、10年以上の歴史があり、その成果は国内外で高く評価されている。今回これまで行ってきたモンゴル松の植林に加えて、野崎先生が考案した「粘土板による草原回復事業」に初めて取り組んだ。
東北大学の教職員と遼寧省石油化工設計院の技術者2人を含め11人でこれに参加した。
カンジカ郊外の植林現場には、野崎先生の指導のもと、地元の農民が作成した20x80cmの粘土板(牛糞と稲わら、それに粘土を混合し乾燥させたもの)が写真のように2000枚が、すでに半砂漠の上に敷き詰められていた。

半砂漠地帯に敷き詰められた粘土板。手前は昨年秋に植林したモンゴル松

8枚が一組の粘土板

まず、この粘土板のへりに沿って、乾燥に強い市販の草の種を蒔く作業を行い、その後、粘土板に水を与える作業を行った。

中央は植林のサポート役のジリモトさん。左は野崎先生

粘土板の隙間に草の種を蒔く参加者

蒔かれた草の種子(写真をクリックしてください)

粘土板に水を散布する農家の娘さん

この工法は、粘土板が数年で自然の土に戻ること、粘土板によって水分の蒸散を抑えて緑化に好ましい状況を創出することに特徴がある。当日は、粘土板の作成を依頼した地元の農民家族もこの作業に参加した。当初から、この種の植林活動は地元の農民や住民を巻き込まなければ、長続きしない。嬉々として我々と一緒に作業している農民の姿に感動した。

粘土板作業を終えて一緒に記念撮影
この後、粘土板を設置したすぐ隣の昨年末に植林したモンゴル松に水を与える作業をした。昨年のこの植林は、使ったモンゴル松が丈の高い元気な松であったこともあり、ほぼすべての松が活着していた。

昨年の秋に植林したモンゴル松に水を与える
この現場での作業を終えた後、これまで10年間にわたって植林した場所の視察に出かけた。

5年経過するとこのように半砂漠がモンゴル松で緑化できる

小高い丘に植林したモンゴル松は成長が悪い。枯死する割合も高い。

今回一緒した、東北大学のスタッフと。左から2人目が朱教授
写真のように、モンゴル松による植林が成功し、砂漠に緑が戻ってきているのがわかる。モンゴル松の成長には、地下水位が大きく関係し、谷合いに植林したモンゴル松が元気で背丈も大きいのに比べ、少し丘の上のモンゴル松は、活着率が低く、成長も遅い。地下水位の低い場所では、根を深く伸ばすポプラとの組み合わせも必要となる。ポプラの植林地域で、ポプラが成長すると水分を多量に吸い上げてしまい地下水位が大幅に低下して、農業活動に影響が出るとのことで、選定する樹木は簡単ではない。

野崎先生は、定期的にこの粘土板工法の効果を検証しながら、さらに大規模にこの事業を展開していきたいとの夢をお持ちで、我々も少しでも先生のお役に立てればと願っている。

この事業の成果は野崎先生が調達したドローンで検証する計画

内モンゴル自治区、カンジカ近くで見かけたガソリンスタンド。この看板を撮った理由分かりますか?

中国石油のパッチもの??

水の城とラインフェルデン

レラに帰ってきた翌日は帰国の20日。午前中にSevincがレラ近くのWasserschloss(水の城)とRheinfelden(ラインフェルデン)を車で案内してくれた。
すぐ隣のInzlimgen(インツリンゲン)村の、Wasserschloss(水の城)に立ち寄る。このお城は、1511年に建てられたもので、現在は村の集会所、レストランとして使用されている。後背の丘陵地からの沢水をためた池の真ん中にお城があり、まるでお城が水の中に浮いているように見える。前夜の夕立の影響で池の水が濁っていたが、美しい城であることには変わりなかった。

水に浮かんだように見えるWasserschloss

お城の周りを散策した後、車で丘陵地を下りRheinfelden(ドイツ)の街に。ライン川沿いの公共駐車場に車を停めて、徒歩でRheinbrucke(ライン橋)を渡り、スイス領Rheinfeldenの旧市街に。国境はライ川の中央に引かれているで、橋の途中が国境。この橋は歩行者専用で、特別の許可を得た車、バスしか利用できない。

ライン川右岸(ドイツ側)からライン橋を望む

ラインの水はきれい

ライン橋から下流を望む(右はドイツ領のレストラン)

ライン橋からRheinfelden(スイス領)の街は、ぎりぎりまで家が立ち並んでいる

ライン橋での監視カメラ。右側はライン川の小島の公園

許可が要ることを知らないサイクリストがこの橋を渡ると、自動的に発光し写真が撮られるシステムで、橋への自転車の乗り入れが厳しく規制されている。この橋のスイス寄りに小さな島があり、公園となっている。島の階段を降りるとライン川の水辺まで行ける。スイス領Rheinfeldenの旧市街では古い建物が良く保存されている。メインストリート・MarktgasseとKupfergasse(クップファーガッセ)を中心に街を散策。

Marktgasse沿いに建つ古い建物

突き当たりにKupfer/storcehnnesttrum塔がある。この塔の名前は訳すると銅塔/コウノトリ塔と二つの名前がつけられている。塔を見上げると塔の屋根にコウノトリの大きな巣があって、つがいが子育て中。

子育て中のコウノトリのつがい

スイス、ドイツの国境近くの街では、高い建物の屋根にコウノトリが巣造りをする。コウノトリはヨーロッパでも日本と同様に幸せを運ぶ鳥として非常に大切にされている。木の枝で編み上げられた大きな巣が、屋根の上に。しかしよく見ると、屋根の上に架台が設けられていて、フラットな架台の上に巣があるのがわかる。何年もこの場所に巣が作られ、地元の方が巣作りしやすいように架台を設けたものであろう。コウノトリ塔を進むと、ふれあい動物園。

子供達が動物に興味津々

更にまっすぐ進むと、市公園(Stadtpark)に。自然豊かで、さっそくリスに遭遇。

公園ではリスが出迎えてくれた

来た道を引き返し、橋近くのケーキ屋さんで休憩。

ライ川に建つ漁師の家(待ち網があった)

ライン橋のたもとのケーキ屋さんからの眺め(橋の小島から続く中州が見える)

休憩後、昼前にレラに帰った。

続く

小さなベニス・コルマール(Colmar)

19日(土)午前中にSaarbruchenの街を散策した後、Elmar先生にWolframの住むレラまで車で送って貰った。高速道路を使うと約2時間半のドライブだが、折角なのでフランス・アルザス地方の「小さなベニス」と呼ばれているコルマールに立ち寄った。Saarbruchenから高速道路A4で南に下る途中、建設半ばのパーキングエリアで休憩。

高速道路A4を南下する

新築のPAの店内(飲料水のコーナー、多種類のミネラルウォーター)

中央奥がワインコーナー(アルザスワインが主)

お洒落なトイレで思わずシャッターを押す

その後、高速道路を降りて田舎道を走ること約1時間でMolshheimに到着。小さな街(人口約1万)ながら、古い街並みが残っていてElmar先生が好きで時々訪れるそう。市役所前の広場に面したレストランで昼食。生ハムサラダのプレートと少し辛口のアルザスの白ワインを楽しむ。

Molshheimの中央広場(右手の建物前のレストランで昼食)

生ハムとサラダのプレート

Molshheim市役所

市役所中央の入口(奥にはアルザス地方のワイン畑)

Molshheimから1時間弱で目指すコルマールに到着。神聖ローマ帝国の自由都市であった歴史ある街。コルマールもSaarbruken同様にその帰属をめぐって、フランス、ドイツの間で紛争が繰り返されてきたが、第二次大戦以降はフランスに編入されている。現在の人口は7万弱。アルザス地方特有のドイツらしさを残したここは、度重なる戦火を逃れ、中世の美しい街並み(木枠を使った家や石畳の道路など)が今でも残っていて、多くの観光客を集めている。街の中には整備された川が流れていて良い雰囲気。

整備された川辺で一休み

コルマール観光では外すことのできない、ウンターリンデン美術館に行った。ここの目玉は、ドイツ人画家グリューネヴァルトの描いた「イーゼンハイムの祭壇画」。この彩色木彫祭壇画は、元はコルマールの南方20kmほどに位置するペストや麦角中毒患者の治療を行うことで知られていたイーゼンハイムの修道院にあったもので、観音開きの10枚から構成されている。現在は、扉がバラバラにされそれぞれが展示されている。中でもキリストのはりつけの第一面が圧巻。

「イーゼンハイムの祭壇画」第一面

第一面の中央パネルには凄惨で生々しい描写の十字架上のキリスト、右には洗礼者ヨハネ、左下がマグダラのマリア、白い服の女性が母マリア、それを支えるのが福音書記ヨハネである。左右に聖母マリア、使者ヨハネ、洗礼者ヨハネを配している。左パネルにはペスト患者の守護神聖セバスティアヌス、右パネルにはライ麦から発生する病気の患者の聖アントニウスの像が描かれている。

美術館内での展示の様子(第一面の前ではガイドの説明)

モネ、ピカソ等日本人に馴染みの深い現代美術画家の作品も展示されている。

可愛い子供を乗せる自転車

観光自動車

観光馬車

木枠の家並み

石畳の道路

川沿いにはレストラン、喫茶店。

新設されたコルマールの市場

メイン道路を少し入ると人通りはない

旧市街の中央に位置するサン マルタン教会。ゴシック建築で黄色の外壁とモザイク模様の屋根と高い塔が印象的。内部のステンドクラスが美しい。

サン マルタン教会

サン マルタン教会の内部

ステンドグラスが素晴らしい

旧市街にあるドミニカン教会を見学。こちらも1289年に建造されたゴシック建築の教会。祭壇中央に展示されている「バラの茂みの聖母」が有名。

ドミニカン教会の外観

ドミニカン教会の内部

「バラの茂みの聖母」(写真をクリックしてみてください)

その後、旧市街を散策。土曜日で多くの観光客で賑わっていた。街の端を流れる小川では、古い町並み見て回るエンジン付きの観光船が数多く運行。

観光船(橋の下をくぐる時は頭に注意)

船頭のガイド付きツアー

コルマールを午後6時過ぎに出て、レラには1時間で到着。

スイス国境近くの高速道路にかかる野生動物のために設けられた橋

レラは激しい夕立に見舞われていた。

続く

ドイツ最古の都市トーリア

OrscholzでのTreetop Walkと、順番が逆になりました。トーリアを観光した後、Saarbruchenに帰る途中にOrscholzTreetop Walkに立ち寄っています。

5月18日(金)Elmar先生に誘われてSaarbruchenから高速で1時間のマルクスの生誕200際が開かれているトーリアに出かけた。交通事故で混雑している高速道路を避けて地道を使ったこともあり、2時間近くかかってしまった。

中央左に見えるSaarbruchen近くのフェルクリンゲン製鉄所(世界遺産に登録、1886年に閉鎖)

高速道路先にぼた山(中央左)が顔を出す

高速道路わきの白い花をつけたニセアカシア

交通事故で渋滞の高速道路を降りる

モーゼル川に沿ってトーリアに向かう

トーリアは、紀元前に建設されたドイツで最も古い都市で、人口は10万人。ローマ帝国がこの地が交通の要衝であることからヨーロッパ進出の拠点とし、「第二のローマ」と呼ばれた。ローマ人は支配の証として、都市の建設と共に地中海文明を持ち込んだ。ローマ遺跡群は世界遺産に指定されていて、多くの観光客を集めている。フランス文化の影響を色濃く受けてワインの生産が盛んで、モーゼルワインの一大生産地として知られている。トーリアの約40キロ西にルクセンブルクが位置する。

以下、トーリアでの散策順に街を紹介する。

モーゼル川にかかるローマ時代(2世紀頃)に造られたレーマー橋(世界遺産)

カール・マルクス通り(右)と左はウォールストリート通り(左)余りにも対照的?(写真をクリックして拡大すると通りの名前が読めます)

カール・マルクス通りですれ違った観光自動車

トーリアは経済学者、哲学者、革命家として著名なカール・マルクスの生誕の地である。マルクスは17歳までここで過ごした。マルクス生家が今はMusiumに。

賑わう中央広場(Hauptmarket)の青空市場

中央広場を北に進むと、ローマ時代(2世紀頃)に建造された黒い石造りの門Ponte Nigro(世界遺産)があり、多くの観光客で賑わっている。Ponte Nigroの左側を下ると大きなカール・マルクス像が目に入る。

2018年のマルクス生誕200周年に中国政府からマルクス像を寄贈され大きな話題となった。

遠くから見るとその大きさに驚く。

中央広場近くの世界遺産であるドイツ最古のトーリア大聖堂はドイツ三大聖堂の一つである。(残りはケルン、マインツの大聖堂)

トーリア大聖堂と聖母聖堂(右の建物)。二つの教会の礼拝堂は繋がっている。

トーリア大聖堂の祭壇上部の円天井の美しい装飾

聖母聖堂の美しい中庭

聖母聖堂の中庭からの眺め(中央右奥にトーリア大聖堂)

その後、南に進むと、世界遺産に登録されているローマ帝国最大規模のバシリカ建築コンスタンチン・バシリカが。310年ごろに建築されたもので、皇帝の謁見場として使われた。長さ67m、幅27m、高さ33mの大ホール。内部に柱はなく、壁の厚さ3.4mので天井が支えられている。

外観は倉庫のようなコンスタンチン・バシリカ(世界遺産)

内部は柱がなく、現在は礼拝堂として使われている

巨大なパイプオルガン

第二次世界大戦で壁を残して破壊された。

コンスタンチン・バシリカと背中合わせの可愛い宮殿(Aula Palatina)

この宮殿の南側には素敵な公園(Parastgarten)が整備されている。

公園で見つけた独特の動きをする噴水

公園を抜けると4世紀に建てられた皇帝浴場の遺跡(世界遺産)が目に飛び込む

Kaiserthermen(皇帝浴場)

トーリアは見所満載の街。とても一日で全てを見ることはできない。この後、ルクセンブルグの街を通り抜け、Saarbruckenに引き返す。

続く

ザールブルッケン(Saarbruken)再訪

Elmar先生の住んでいるSaarbrukenを訪問するのは今回が2回目。

Saarbrukenはドイツ・ザールラント州の州都で人口18万人の都市。フランスに国境を接し、フランス領アルザスに近い。この街は、炭鉱業や製鉄業で栄えたが、近年はこれらの産業が衰退し、かつての賑わいは見られない。Saarbrukenの近くには、産業遺産として世界遺産に登録されたフェルクリンゲン製鉄所がある。(トーリアのブログで紹介済み)Saarbrukenの帰属は、フランスとドイツの間で多くの変遷が繰り返されてきた。第二次世界大戦後は、フランスの管理下に置かれたが、住民投票の結果、1957年1月1日にドイツに復帰している。
Elmar先生の勤めているザールラント大学はEU圏内で知名度が高い。ちなみに、私が勤務していた熊本大学とザールラント大学は学術交流協定を締結している。

5月19日(土)の午前中、Elmar夫妻の案内でSaarbruken市内を散策した。
Saarbruken宮殿の下の道路わきの駐車場に車を停め、ザール川を渡って街の中心に出た。

ザール川を渡る

古い街並みを抜けてSt. Johann教会に。この教会は1727年に建造された教会。

ザンクト・ヨハン教会のファサード

教会の祭壇

祭壇上の天井の装飾

教会のパイプオルガン

教会を見学した後、教会前の青空市場を見て回る。食料品やワインの店が並び、朝早くから多くの人で賑わっている。

教会前の青空市場

パン屋ではもちろんドイツパンの販売

はちみつ屋

ワインショップ(モーゼルワインが主流)
この後、市庁舎(Rarthouse)方向に歩く。この市庁舎にはレストランや小さな劇場が併設されていて、土、日曜日以外は見学できるとのこと。

市庁舎(赤い砂岩の外壁)

市庁舎近くの市電

その後、再びザール川を渡って、再び旧市街に。

ザール川の船着き場

洒落たお店の多い通りを抜けたところに、過去のザール川の洪水の水位を占めす石塔があり、驚くべき高さに洪水の記録があった。

日時計とザール川の洪水の水位を示す記載

この後、バロック建築家フリードリヒ・ヨアヒム・シュテンゲル(1694-1787)の設計によるバロック式Ludwig教会に向かう。教会の内部は白が基調。天井の装飾とパイプオルガンが印象に残る。教会前の広場では、青空市が立っていて、これも多くの市民で混雑していた。

Ludwig教会

真っ白い天井の装飾

Ludwig教会前の青空市場

その後、Ludwig教会から、Saarbruken宮殿に。

宮殿前広場の噴水

Saarbruken宮殿

Saarbruken宮殿は10世紀に建てられた歴史的建造物であるが、18世紀に新たなバロック式の宮殿に建て替えられている。この設計はLudwig教会と同様に、フリードリヒ・ヨアヒム・シュテンゲルによるもの。宮殿を通り抜けて、お城の見晴らし台に出る。ここからの眺めが素晴らしい。

宮殿の見晴らし台からザール川の眺め

続く

OrscholzでのTreetop Walk

トーリアからSarrbrukenへはルクセンブルグ経由で帰った。

道路沿いの南側斜面には広大なブドウ畑が広がる。モーゼルワインの生産地である。

モーゼル地方のワイン畑(リースリングを栽培)

ワインは畑とワイン農家

Orchloz近くの風力発電。ドイツでは電力の約12%は風力発電(2016年)でまかなう

Elmar先生が、Sarrbrukenに帰る途中に絶景の場所があると案内してもらったのがOrscholz(オルショルツ)にある一番新しい国立公園(Hunsruck Hochwald)中に建設されたTreetop Walkを楽しむ施設だった。

ビジターセンターで休憩

入場料10ユーロを支払って、Treetop Walkのスタート。この地点の高さは3m。
公園内に建造された緩やかな傾斜(最大斜度は6%)のついた木製の回廊を進む。

樹間を回廊で進むと徐々に高さが増す(Baumwipfelpfad Saarschleifeのパンフ写真から)

高い樹木の間の回廊を1km余り進むと高さは地上から23mにもなる。

タワー近くの回廊からはドイツトウヒの樹冠に手が届く

回廊の先に巨大な木製のタワー。車いすや老人、幼児でも登れるように設計された緩やかな傾斜のランプ(螺旋回廊)を5周回ると、高さ42mの展望台に(ここまでの距離は1,250m)。この展望台から、豊かな森林の中をヘアピン状に蛇行するザール川を望む絶景を楽しむことができる。

ランプを登ると展望台(42m)に

高さ42mの展望台

展望台から蛇行するザール川が

展望台から下を望む。展望台の下にも別の展望台が。

展望台の看板は、ザール川からタワーを見上げた様子

タワーとザール川を撮った航空写真(Baumwipfelpfad Saarschleifeのパンフ写真から)

この日は、野鳥や、リスに出会わなかったが、時期、時間によっては見ることができるようで、森林環境を体験学習できる。
展望タワーを降りて、再び別のルートで回廊を下ると出口に出て、回廊を見上げながら、林間をビジターセンタまで戻る。

回廊を降りてビジターセンターに向かう

国立公園の看板

タワーに向かう回廊

回廊下をくぐると左側にビジターセンター

ビジターセンターに到着(ここは、会議室、結婚式場としても使われている)

続く

欧州の運河

ストラスブール(フランス)から国境を越えて、Elmar自宅(ドイツのSaarbruken)に車で帰るのに、高速道路でなく、Elmarはあえて運河沿いの道をとった。WolframがFriburugに向かう運河沿いの道を走っている際、これがフランスの典型的な景色だと教えてくれたことを思い出す。

道路からの運河の様子
欧州には5万キロもの運河があり、フランスはその中心的存在。道路に並行して延々と続く運河の景色は人々を魅了して止まない。道路と運河の間には街路樹が植えられているが、多くは自転車道路が整備されている。欧州は日本ほどの高低差はないが、それでも大きな船が通行できるようにするには、閘門(Lock)を設けなければならない。Saarbrukenに向かう途中で、珍しい閘門があるということで、立ち寄った。この場所は高低差があまりにも大きいので、ボートリフトで斜面に沿ってボートを引き上げる、日本ではお目にかかれないものである。この閘門を利用できる船の大きさは限られ、レジャーボートの移動が主となっている。

ボートリフトの構造(出典:https://fr.wikipedia.org/wiki/Plan_incliné_de_Saint-Louis-Arzviller)

現場に着いたのが午後6時と遅く、運河の運行時間外。残念ながらボートリフトの稼働状況はみることができなかった。

駐車場からPlan Incline(Sait-Pouis-Arzviller)を望む

ボートリフト下の船溜まりには数隻のレジャーボートが停泊中していた。

画面中央に閘門が

ボートリフトの斜面

数隻のボートが停泊中

船溜まりを出て更に運河を下る

Elmarが停泊中のレジャーボートの船長に話しかけると、Saarbrukenから休日を利用して遊びに来ているとのこと。のんびりと、新緑の中で運河クルージングを楽しんでいる。余暇の過ごし方が羨ましい。運河沿いには、高速道路のSAのように船着き場があり、その近くには洒落たレストランがある。その日の夕食は、船着き場の横の運河に面したフレンチレストランで。

レストランから停泊中のボートが見える。

レストランの大きな窓越しに、山間にある小さな教会が見える

運河沿いのサイクリングロードはサマータイムを採用していることもあり、夜の8時半を過ぎても明るく、サイクリングを楽しむ人がいる。

運河沿いの芝生を、日本では目にしない雁?のつがいが散歩中。

続く