水の城とラインフェルデン

レラに帰ってきた翌日は帰国の20日。午前中にSevincがレラ近くのWasserschloss(水の城)とRheinfelden(ラインフェルデン)を車で案内してくれた。
すぐ隣のInzlimgen(インツリンゲン)村の、Wasserschloss(水の城)に立ち寄る。このお城は、1511年に建てられたもので、現在は村の集会所、レストランとして使用されている。後背の丘陵地からの沢水をためた池の真ん中にお城があり、まるでお城が水の中に浮いているように見える。前夜の夕立の影響で池の水が濁っていたが、美しい城であることには変わりなかった。

水に浮かんだように見えるWasserschloss

お城の周りを散策した後、車で丘陵地を下りRheinfelden(ドイツ)の街に。ライン川沿いの公共駐車場に車を停めて、徒歩でRheinbrucke(ライン橋)を渡り、スイス領Rheinfeldenの旧市街に。国境はライ川の中央に引かれているで、橋の途中が国境。この橋は歩行者専用で、特別の許可を得た車、バスしか利用できない。

ライン川右岸(ドイツ側)からライン橋を望む

ラインの水はきれい

ライン橋から下流を望む(右はドイツ領のレストラン)

ライン橋からRheinfelden(スイス領)の街は、ぎりぎりまで家が立ち並んでいる

ライン橋での監視カメラ。右側はライン川の小島の公園

許可が要ることを知らないサイクリストがこの橋を渡ると、自動的に発光し写真が撮られるシステムで、橋への自転車の乗り入れが厳しく規制されている。この橋のスイス寄りに小さな島があり、公園となっている。島の階段を降りるとライン川の水辺まで行ける。スイス領Rheinfeldenの旧市街では古い建物が良く保存されている。メインストリート・MarktgasseとKupfergasse(クップファーガッセ)を中心に街を散策。

Marktgasse沿いに建つ古い建物

突き当たりにKupfer/storcehnnesttrum塔がある。この塔の名前は訳すると銅塔/コウノトリ塔と二つの名前がつけられている。塔を見上げると塔の屋根にコウノトリの大きな巣があって、つがいが子育て中。

子育て中のコウノトリのつがい

スイス、ドイツの国境近くの街では、高い建物の屋根にコウノトリが巣造りをする。コウノトリはヨーロッパでも日本と同様に幸せを運ぶ鳥として非常に大切にされている。木の枝で編み上げられた大きな巣が、屋根の上に。しかしよく見ると、屋根の上に架台が設けられていて、フラットな架台の上に巣があるのがわかる。何年もこの場所に巣が作られ、地元の方が巣作りしやすいように架台を設けたものであろう。コウノトリ塔を進むと、ふれあい動物園。

子供達が動物に興味津々

更にまっすぐ進むと、市公園(Stadtpark)に。自然豊かで、さっそくリスに遭遇。

公園ではリスが出迎えてくれた

来た道を引き返し、橋近くのケーキ屋さんで休憩。

ライ川に建つ漁師の家(待ち網があった)

ライン橋のたもとのケーキ屋さんからの眺め(橋の小島から続く中州が見える)

休憩後、昼前にレラに帰った。

続く

小さなベニス・コルマール(Colmar)

19日(土)午前中にSaarbruchenの街を散策した後、Elmar先生にWolframの住むレラまで車で送って貰った。高速道路を使うと約2時間半のドライブだが、折角なのでフランス・アルザス地方の「小さなベニス」と呼ばれているコルマールに立ち寄った。Saarbruchenから高速道路A4で南に下る途中、建設半ばのパーキングエリアで休憩。

高速道路A4を南下する

新築のPAの店内(飲料水のコーナー、多種類のミネラルウォーター)

中央奥がワインコーナー(アルザスワインが主)

お洒落なトイレで思わずシャッターを押す

その後、高速道路を降りて田舎道を走ること約1時間でMolshheimに到着。小さな街(人口約1万)ながら、古い街並みが残っていてElmar先生が好きで時々訪れるそう。市役所前の広場に面したレストランで昼食。生ハムサラダのプレートと少し辛口のアルザスの白ワインを楽しむ。

Molshheimの中央広場(右手の建物前のレストランで昼食)

生ハムとサラダのプレート

Molshheim市役所

市役所中央の入口(奥にはアルザス地方のワイン畑)

Molshheimから1時間弱で目指すコルマールに到着。神聖ローマ帝国の自由都市であった歴史ある街。コルマールもSaarbruken同様にその帰属をめぐって、フランス、ドイツの間で紛争が繰り返されてきたが、第二次大戦以降はフランスに編入されている。現在の人口は7万弱。アルザス地方特有のドイツらしさを残したここは、度重なる戦火を逃れ、中世の美しい街並み(木枠を使った家や石畳の道路など)が今でも残っていて、多くの観光客を集めている。街の中には整備された川が流れていて良い雰囲気。

整備された川辺で一休み

コルマール観光では外すことのできない、ウンターリンデン美術館に行った。ここの目玉は、ドイツ人画家グリューネヴァルトの描いた「イーゼンハイムの祭壇画」。この彩色木彫祭壇画は、元はコルマールの南方20kmほどに位置するペストや麦角中毒患者の治療を行うことで知られていたイーゼンハイムの修道院にあったもので、観音開きの10枚から構成されている。現在は、扉がバラバラにされそれぞれが展示されている。中でもキリストのはりつけの第一面が圧巻。

「イーゼンハイムの祭壇画」第一面

第一面の中央パネルには凄惨で生々しい描写の十字架上のキリスト、右には洗礼者ヨハネ、左下がマグダラのマリア、白い服の女性が母マリア、それを支えるのが福音書記ヨハネである。左右に聖母マリア、使者ヨハネ、洗礼者ヨハネを配している。左パネルにはペスト患者の守護神聖セバスティアヌス、右パネルにはライ麦から発生する病気の患者の聖アントニウスの像が描かれている。

美術館内での展示の様子(第一面の前ではガイドの説明)

モネ、ピカソ等日本人に馴染みの深い現代美術画家の作品も展示されている。

可愛い子供を乗せる自転車

観光自動車

観光馬車

木枠の家並み

石畳の道路

川沿いにはレストラン、喫茶店。

新設されたコルマールの市場

メイン道路を少し入ると人通りはない

旧市街の中央に位置するサン マルタン教会。ゴシック建築で黄色の外壁とモザイク模様の屋根と高い塔が印象的。内部のステンドクラスが美しい。

サン マルタン教会

サン マルタン教会の内部

ステンドグラスが素晴らしい

旧市街にあるドミニカン教会を見学。こちらも1289年に建造されたゴシック建築の教会。祭壇中央に展示されている「バラの茂みの聖母」が有名。

ドミニカン教会の外観

ドミニカン教会の内部

「バラの茂みの聖母」(写真をクリックしてみてください)

その後、旧市街を散策。土曜日で多くの観光客で賑わっていた。街の端を流れる小川では、古い町並み見て回るエンジン付きの観光船が数多く運行。

観光船(橋の下をくぐる時は頭に注意)

船頭のガイド付きツアー

コルマールを午後6時過ぎに出て、レラには1時間で到着。

スイス国境近くの高速道路にかかる野生動物のために設けられた橋

レラは激しい夕立に見舞われていた。

続く

ドイツ最古の都市トーリア

OrscholzでのTreetop Walkと、順番が逆になりました。トーリアを観光した後、Saarbruchenに帰る途中にOrscholzTreetop Walkに立ち寄っています。

5月18日(金)Elmar先生に誘われてSaarbruchenから高速で1時間のマルクスの生誕200際が開かれているトーリアに出かけた。交通事故で混雑している高速道路を避けて地道を使ったこともあり、2時間近くかかってしまった。

中央左に見えるSaarbruchen近くのフェルクリンゲン製鉄所(世界遺産に登録、1886年に閉鎖)

高速道路先にぼた山(中央左)が顔を出す

高速道路わきの白い花をつけたニセアカシア

交通事故で渋滞の高速道路を降りる

モーゼル川に沿ってトーリアに向かう

トーリアは、紀元前に建設されたドイツで最も古い都市で、人口は10万人。ローマ帝国がこの地が交通の要衝であることからヨーロッパ進出の拠点とし、「第二のローマ」と呼ばれた。ローマ人は支配の証として、都市の建設と共に地中海文明を持ち込んだ。ローマ遺跡群は世界遺産に指定されていて、多くの観光客を集めている。フランス文化の影響を色濃く受けてワインの生産が盛んで、モーゼルワインの一大生産地として知られている。トーリアの約40キロ西にルクセンブルクが位置する。

以下、トーリアでの散策順に街を紹介する。

モーゼル川にかかるローマ時代(2世紀頃)に造られたレーマー橋(世界遺産)

カール・マルクス通り(右)と左はウォールストリート通り(左)余りにも対照的?(写真をクリックして拡大すると通りの名前が読めます)

カール・マルクス通りですれ違った観光自動車

トーリアは経済学者、哲学者、革命家として著名なカール・マルクスの生誕の地である。マルクスは17歳までここで過ごした。マルクス生家が今はMusiumに。

賑わう中央広場(Hauptmarket)の青空市場

中央広場を北に進むと、ローマ時代(2世紀頃)に建造された黒い石造りの門Ponte Nigro(世界遺産)があり、多くの観光客で賑わっている。Ponte Nigroの左側を下ると大きなカール・マルクス像が目に入る。

2018年のマルクス生誕200周年に中国政府からマルクス像を寄贈され大きな話題となった。

遠くから見るとその大きさに驚く。

中央広場近くの世界遺産であるドイツ最古のトーリア大聖堂はドイツ三大聖堂の一つである。(残りはケルン、マインツの大聖堂)

トーリア大聖堂と聖母聖堂(右の建物)。二つの教会の礼拝堂は繋がっている。

トーリア大聖堂の祭壇上部の円天井の美しい装飾

聖母聖堂の美しい中庭

聖母聖堂の中庭からの眺め(中央右奥にトーリア大聖堂)

その後、南に進むと、世界遺産に登録されているローマ帝国最大規模のバシリカ建築コンスタンチン・バシリカが。310年ごろに建築されたもので、皇帝の謁見場として使われた。長さ67m、幅27m、高さ33mの大ホール。内部に柱はなく、壁の厚さ3.4mので天井が支えられている。

外観は倉庫のようなコンスタンチン・バシリカ(世界遺産)

内部は柱がなく、現在は礼拝堂として使われている

巨大なパイプオルガン

第二次世界大戦で壁を残して破壊された。

コンスタンチン・バシリカと背中合わせの可愛い宮殿(Aula Palatina)

この宮殿の南側には素敵な公園(Parastgarten)が整備されている。

公園で見つけた独特の動きをする噴水

公園を抜けると4世紀に建てられた皇帝浴場の遺跡(世界遺産)が目に飛び込む

Kaiserthermen(皇帝浴場)

トーリアは見所満載の街。とても一日で全てを見ることはできない。この後、ルクセンブルグの街を通り抜け、Saarbruckenに引き返す。

続く

ザールブルッケン(Saarbruken)再訪

Elmar先生の住んでいるSaarbrukenを訪問するのは今回が2回目。

Saarbrukenはドイツ・ザールラント州の州都で人口18万人の都市。フランスに国境を接し、フランス領アルザスに近い。この街は、炭鉱業や製鉄業で栄えたが、近年はこれらの産業が衰退し、かつての賑わいは見られない。Saarbrukenの近くには、産業遺産として世界遺産に登録されたフェルクリンゲン製鉄所がある。(トーリアのブログで紹介済み)Saarbrukenの帰属は、フランスとドイツの間で多くの変遷が繰り返されてきた。第二次世界大戦後は、フランスの管理下に置かれたが、住民投票の結果、1957年1月1日にドイツに復帰している。
Elmar先生の勤めているザールラント大学はEU圏内で知名度が高い。ちなみに、私が勤務していた熊本大学とザールラント大学は学術交流協定を締結している。

5月19日(土)の午前中、Elmar夫妻の案内でSaarbruken市内を散策した。
Saarbruken宮殿の下の道路わきの駐車場に車を停め、ザール川を渡って街の中心に出た。

ザール川を渡る

古い街並みを抜けてSt. Johann教会に。この教会は1727年に建造された教会。

ザンクト・ヨハン教会のファサード

教会の祭壇

祭壇上の天井の装飾

教会のパイプオルガン

教会を見学した後、教会前の青空市場を見て回る。食料品やワインの店が並び、朝早くから多くの人で賑わっている。

教会前の青空市場

パン屋ではもちろんドイツパンの販売

はちみつ屋

ワインショップ(モーゼルワインが主流)
この後、市庁舎(Rarthouse)方向に歩く。この市庁舎にはレストランや小さな劇場が併設されていて、土、日曜日以外は見学できるとのこと。

市庁舎(赤い砂岩の外壁)

市庁舎近くの市電

その後、再びザール川を渡って、再び旧市街に。

ザール川の船着き場

洒落たお店の多い通りを抜けたところに、過去のザール川の洪水の水位を占めす石塔があり、驚くべき高さに洪水の記録があった。

日時計とザール川の洪水の水位を示す記載

この後、バロック建築家フリードリヒ・ヨアヒム・シュテンゲル(1694-1787)の設計によるバロック式Ludwig教会に向かう。教会の内部は白が基調。天井の装飾とパイプオルガンが印象に残る。教会前の広場では、青空市が立っていて、これも多くの市民で混雑していた。

Ludwig教会

真っ白い天井の装飾

Ludwig教会前の青空市場

その後、Ludwig教会から、Saarbruken宮殿に。

宮殿前広場の噴水

Saarbruken宮殿

Saarbruken宮殿は10世紀に建てられた歴史的建造物であるが、18世紀に新たなバロック式の宮殿に建て替えられている。この設計はLudwig教会と同様に、フリードリヒ・ヨアヒム・シュテンゲルによるもの。宮殿を通り抜けて、お城の見晴らし台に出る。ここからの眺めが素晴らしい。

宮殿の見晴らし台からザール川の眺め

続く

OrscholzでのTreetop Walk

トーリアからSarrbrukenへはルクセンブルグ経由で帰った。

道路沿いの南側斜面には広大なブドウ畑が広がる。モーゼルワインの生産地である。

モーゼル地方のワイン畑(リースリングを栽培)

ワインは畑とワイン農家

Orchloz近くの風力発電。ドイツでは電力の約12%は風力発電(2016年)でまかなう

Elmar先生が、Sarrbrukenに帰る途中に絶景の場所があると案内してもらったのがOrscholz(オルショルツ)にある一番新しい国立公園(Hunsruck Hochwald)中に建設されたTreetop Walkを楽しむ施設だった。

ビジターセンターで休憩

入場料10ユーロを支払って、Treetop Walkのスタート。この地点の高さは3m。
公園内に建造された緩やかな傾斜(最大斜度は6%)のついた木製の回廊を進む。

樹間を回廊で進むと徐々に高さが増す(Baumwipfelpfad Saarschleifeのパンフ写真から)

高い樹木の間の回廊を1km余り進むと高さは地上から23mにもなる。

タワー近くの回廊からはドイツトウヒの樹冠に手が届く

回廊の先に巨大な木製のタワー。車いすや老人、幼児でも登れるように設計された緩やかな傾斜のランプ(螺旋回廊)を5周回ると、高さ42mの展望台に(ここまでの距離は1,250m)。この展望台から、豊かな森林の中をヘアピン状に蛇行するザール川を望む絶景を楽しむことができる。

ランプを登ると展望台(42m)に

高さ42mの展望台

展望台から蛇行するザール川が

展望台から下を望む。展望台の下にも別の展望台が。

展望台の看板は、ザール川からタワーを見上げた様子

タワーとザール川を撮った航空写真(Baumwipfelpfad Saarschleifeのパンフ写真から)

この日は、野鳥や、リスに出会わなかったが、時期、時間によっては見ることができるようで、森林環境を体験学習できる。
展望タワーを降りて、再び別のルートで回廊を下ると出口に出て、回廊を見上げながら、林間をビジターセンタまで戻る。

回廊を降りてビジターセンターに向かう

国立公園の看板

タワーに向かう回廊

回廊下をくぐると左側にビジターセンター

ビジターセンターに到着(ここは、会議室、結婚式場としても使われている)

続く

欧州の運河

ストラスブール(フランス)から国境を越えて、Elmar自宅(ドイツのSaarbruken)に車で帰るのに、高速道路でなく、Elmarはあえて運河沿いの道をとった。WolframがFriburugに向かう運河沿いの道を走っている際、これがフランスの典型的な景色だと教えてくれたことを思い出す。

道路からの運河の様子
欧州には5万キロもの運河があり、フランスはその中心的存在。道路に並行して延々と続く運河の景色は人々を魅了して止まない。道路と運河の間には街路樹が植えられているが、多くは自転車道路が整備されている。欧州は日本ほどの高低差はないが、それでも大きな船が通行できるようにするには、閘門(Lock)を設けなければならない。Saarbrukenに向かう途中で、珍しい閘門があるということで、立ち寄った。この場所は高低差があまりにも大きいので、ボートリフトで斜面に沿ってボートを引き上げる、日本ではお目にかかれないものである。この閘門を利用できる船の大きさは限られ、レジャーボートの移動が主となっている。

ボートリフトの構造(出典:https://fr.wikipedia.org/wiki/Plan_incliné_de_Saint-Louis-Arzviller)

現場に着いたのが午後6時と遅く、運河の運行時間外。残念ながらボートリフトの稼働状況はみることができなかった。

駐車場からPlan Incline(Sait-Pouis-Arzviller)を望む

ボートリフト下の船溜まりには数隻のレジャーボートが停泊中していた。

画面中央に閘門が

ボートリフトの斜面

数隻のボートが停泊中

船溜まりを出て更に運河を下る

Elmarが停泊中のレジャーボートの船長に話しかけると、Saarbrukenから休日を利用して遊びに来ているとのこと。のんびりと、新緑の中で運河クルージングを楽しんでいる。余暇の過ごし方が羨ましい。運河沿いには、高速道路のSAのように船着き場があり、その近くには洒落たレストランがある。その日の夕食は、船着き場の横の運河に面したフレンチレストランで。

レストランから停泊中のボートが見える。

レストランの大きな窓越しに、山間にある小さな教会が見える

運河沿いのサイクリングロードはサマータイムを採用していることもあり、夜の8時半を過ぎても明るく、サイクリングを楽しむ人がいる。

運河沿いの芝生を、日本では目にしない雁?のつがいが散歩中。

続く

 

世界遺産の観光都市ストラスブール

ETH留学時代に一緒に研究したドイツSaarland大学の教授であるElmar Heinzle教授が住むSaarbrucken市を訪問する旅程を友人のWolframに計画してもらったところ、Saarbruckenに近いフランス・アルザス地方のStrasbourg(ストラスブール)で待ち合わせ、Wolframm,Sevic夫妻、Elmar, Anna夫妻と一緒にストラスブールを観光することになった。
レラから、ラン川を渡ってフランスに入り、約2時間のドライブでストラスブールに到着。
ストラスブールは長年にわたりドイツとフランスが領有権を争った土地として有名であるが、1944年以降はフランスに属している。現在は、欧州評議会やEUの欧州議会を擁し、ブリュセルと共にEUの象徴的な都市となっている。また、イル川の中州にある都心には、1988年にユネスコの世界遺産に登録されたストラスブール大聖堂(またはノートルダム大聖堂とも呼ばれる)とアルザスの伝統的な木組みの家屋群があり、フランス有数の観光都市となっている。ストラスブールにはパリからTGVを利用すると2時間20分で行くことができる。

都心近くに新しくできた立体駐車場でElmar夫妻と合流。久しぶりの再会で、昔話に話が弾む。徒歩でノートルダム大聖堂を目指す。大聖堂は世界遺産で、大勢の観光客で賑わっていた。424年の歳月をかけ1439年に完成したゴシック様式の教会として有名。外壁はピンク色の砂岩でできていて建物全体が赤みを帯びた独特の外観になっている。

ストラスブルグ大聖堂を正面から見上げる


赤みを帯びた大聖堂の正面には無数の彫刻が

大聖堂の展望台へは、Wolframは拒んだので、4人で332段の細い螺旋階段を使って高さ66mの展望台に登る。市内を一望できるパノラマが広がり、ガラス張りの欧州議会の建物も見ることができた。

展望台からの眺め。中央奥のガラスの建物が欧州議会(写真をクリックして拡大で見てください)


展望台から望む大聖堂の尖塔(一部補修中)

一緒に展望台に登った仲間(左:Elmar、中:Sevinc、右:Anna)

階段からの眺め(屋根の上にも彫刻)

雨樋にも彫刻

大聖堂の中は何故か、11:30から中に入ることができなかったので、のちほど見学することにして、素敵な景色が楽しめるBaragge Vouban(橋)に向かった。ここからは、中世の橋とストラスブール大聖堂や、運河を航行する遊覧船が望むことができる。

中央に大聖堂が望める

左の運河に遊覧船が入る様子

素敵な景色を楽しんだ後、運河沿いを歩いて可愛い木組みの建物が並ぶプチット・フランスを散策する。

運河沿いの喫茶店

木組みの家並み

プチフランス地区を進む遊覧船

橋が旋回して遊覧船を通す

再び大聖堂に戻り、内部を見学。ステンドグラス、バラ窓、パイプオルガンが見事。

高い天井とステンドクラスが目を引く

バラ窓とパイプオルガン(右上)

大聖堂を出て、日本のテレビで紹介されていた大聖堂前のチョコレートショップ「クリスチャン」でお茶休憩。トリフチョコとチョコレートケーキを注文。濃厚なチョコレートの味で、地元の人に愛されている有名店であることに全員で納得。

大聖堂前を銃を持った兵士が警備

クリスチャン(店先のテントの下お茶とケーキを楽しむ)

トリフチョコとチョコレートケーキ

市内の教会では、Saint Thomas教会を見学。この教会にはノーベル平和賞を受賞したシュバイツアー(Albert Schweitzer)のレリーフが壁に掛けてある。正面左側にオルガンとシュバイツアーの写真。説明文を読むと、ストラスブルグ大学で哲学、医学を学んだシュバイツアー画バッハのオルガンコンサートをこの教会で開催し、その収益でアフリカでの医療活動をしたとのこと。

Saint Thomas教会の内部

教会内で展示されているシュバイツアーの写真と演奏に使ったオルガン

ストラスブルグでは、フライブルグと同様に都心への車の乗り入れが制限され市電、自転車での移動を促す交通政策が採用されている。

市内の道路(左は歩道、その右は自転車道路、中央は市電、その右は一方通行の車道)

自転車道路は2車線

おしゃれなデザインの市電

続く

 

フライブルグ再訪

5月15日にWolfram, Sevinc夫妻とレラから車で1時間半のフライブルグ(Freiburg)を訪問した。

ドイツの高速道路は速度制限がないと思われているが、多くの場所で最高速度が制限されている。トラックの多さに驚かされる。スイスに向かう道路の右レーンにトラックが数珠つなぎ。

スイス国境近くのトラックの行列

これはEUに加入していないスイスを通過するのための税関チェックのための渋滞。これだけ高速道路をトラックが走ると、その道路整備に多大なコストがかかる。有料道路になる日も近いとのこと。ちなみに、スイスの高速道路をスイス以外の国の車が走るには、年間40スイスフラン支払ったことを示すシールを車のフロントグラスに貼付しなければならない。EUのナンバープレートを紹介する。プレートの左上にEUのマーク。その下に国名が示されている。

ポーランドからのトラック

フライブルグ市内入る道路で、前にテスラの電気自動車が。1台2000万円もする高級車。

テスラの電気自動車

フライブルクはドイツ南部に位置する人口20万の観光都市で年間300万もの観光客が訪れる。1457年に設立されたフライブルグ大学が街の中心に位置する大学都市でもある。知人の大阪大学医学部の大西俊造先生が、フライブルグ大学医学部に留学してこともあり、ETHに留学していた時にフライブルグを是非訪れるよう勧められた。当時博士課程の学生であったWolfram,とSevincにフライブルグを案内してもらったのが最初の訪問。今回が3回目の訪問となる。
1970年代に酸性雨によってドイツ人の心の拠り所でもあったシュヴァルツヴァルト(黒い森)が枯死の危機に瀕し、なおかつ近郊に原子力発電所を建設する計画が持ち上がったのが契機となり、フライブルグ市はエネルギー面では脱原発・自然エネルギー推進を図った。大気汚染対策として自動車依存からの脱却と公共交通・自転車の強化を進めた。具体的には旧市街への自動車乗り入れを制限し、市電の郊外への延伸工事を行い、パークアンドライドを整備するなどの諸政策をとった。ドイツ環境支援協会による自治体コンクール「自然・環境保護における連邦首都」においてこれらの政策が高く評価され、1992年に「環境首都」としてフライブルグが表彰され一躍有名になった。

運河近くの駐車場に車を停め、マルティン塔をくぐって旧市街に。この塔にはマグドナルドが入っているが、街の景観を損ねないように控えめの看板、店構えとなっている。

以下、フライブルグ市街を散策の順序で紹介したい。

マルティン塔(地味な色のマクドナルドの看板)

カイザーヨーゼフ通りのアーケード

街の中を流れる小川(ベッヘレ)

ゴシック様式の砂岩造りのフライブルグ大聖堂

大聖堂の内部

美しいステンドグラス

大聖堂前で開かれていた青空市(野菜屋)

野菜屋では、旬のホワイトアスパラガス大量に販売されていた

ソーセージ屋(パンに挟んで、マスタードをつけかぶりつく)

パン屋(各種のライムギ系のドイツパンが売られている)

果物屋(路地物のイチゴが手ごろな価格で販売されていた)

大聖堂広場にある古い商館

昼食に注文したアスパラガスのプレート(バターソース味)このボリュームでスモールポーション

メインストリートを外れると素敵な街並みが

市役所前広場の石畳に見つけた姉妹都市のフラッグは、私の故郷松山市のものです。1981年に訪れた際に、松山市の物産展がここで開催されていたことを懐かしく思い出した。

フライブルグ市の他の姉妹都市のフラッグ(私がよく行く韓国・水原市・Suwonのフラッグもあった)

石畳にはアクセントの意匠が埋め込まれている

市内を流れる運河の中に突然ワニが現れる?

フライブルグ大学図書館前広場の噴水

ガラス張りのフライブルグ大学図書館

フライブルグ大学図書館前の駐輪場の様子

フライブルグ大学

フライブルグ大学のレストラン(Menza)

フライブルグからレラに帰る途中に立ち寄った町(Staufen)を流れる近自然工法で整備された河川

喫茶店の2階から川を望む

Staufenから黒い森を通り抜け、レラのWolframの自宅に帰る。フライブルグは晴れていたのに、山裾の街レラは雨模様。

続く

 

バーゼル市街散策

ドイツ、フランス、スイスの国境いに位置するバーゼルは、チューリッヒ、ジュネーブに次ぐ、人口17万5千人の第3の都市。バーゼルはライン川水運の最終遡行拠点で、スイス唯一の貿易港。織物工業や製紙業が発端となり、その工業生産に必要な化学薬品を供給する化学工業が次に発達した。世界的な製薬会社ノヴァルティスやロッシュが本社・工場を設置している。

バーゼルで一番高いロッシュの本社ビル(現在すぐそばに同じ外観のビルが建設中、右手に見えるのはライン川)

ポストドクとして、1981年4月から1年間スイス連邦工科大学(ETH)化学工学科に留学した際の博士課程の友人の多くが、学位取得後、バーゼルの製薬会社や化学会社に就職したこともあり、欧州出張した際には、バーゼルを訪問し、旧交を温めてきた。
スイス最大のカーニバルであるバーゼル・ファスナハトを友人と一緒に参加したことやバーゼル美術館(Kunst Museum)の豊富なコレクションに驚いた印象が残ってる。
今回、友人のHugoと一緒に5月14日にバーゼルの街を散策したので、歴史を引き継ぐ街の様子を紹介したい。

バーゼル大聖堂

大聖堂のステンドクラス

バーゼル市の市電(車輪が安全のためにカーバーされていて見えない。殆どが低床電車。郊外まで行くことができる市電は黄色の車体、車内で無線ランが使えることを示すマークがドアに

地元サッカーチームFCバーゼルのチームカラーでラッピングされた市電(FCバーゼルは屈指の強豪チームで、セレッソの柿谷曜一朗が移籍している)

高級ブランド店が並ぶショッピング通り(歩行者専用道路)

バーゼル市立劇場前の噴水状の彫刻(Tinguely作)

道路わきのごみ回収箱(道路は清潔そのもの)

バーゼル市庁舎(赤い壁面と壁画が印象的)

市役所の中庭の壁画

高級乳母自転車?(二人乗り)

街角には噴水が至る所に(噴水の水は飲用可能)

ライン川沿いのたばこ店が経営する喫茶店(もちろん喫煙OK)

ライン川渡し(両岸にロープを張り、ボートをロープにつないで渡る)

ライン川をまたぐヨハニター橋(市電も通る)

バーゼルからレラの友人宅に帰る途中、スイスとドイツの国境にあるリーエン(Riehe)にあるバイエラー美術館に立ち寄った。ギャラリーを経営し敏腕ディーラーとして名を馳せたバイエラーが集めた約200点のコレクションが展示されている。美術館の設計は、関西国際空港旅客ターミナルビル設計で世界的な設計家レンツォ・ピアノ。

緑に囲まれたバイエラー美術館

Alexander Calderが制作したモニュメント(Tree)

Giacometti-Bacon展が開催されていて美術館は賑わっていた。最終の展示室では、最新の映像技術で展示室の壁、床にGiacomettiとBaconのアトリエの紹介やインタビューフィルムが流れて感動した。

Giacometti-Bacon展のパンフレット

今回の欧州旅行の写真は、ソニーのミラーレスカメラα6000で撮影した。是非、写真をクリックして拡大してみてください。

続く

 

 

 

 

ルツェルン、インターラーケン、トゥーン湖を回るドライブ

5月13日に、バーゼル郊外リーエンに住むHugo、Anna夫妻の案内でリーエンから
ルチェルン、インターラーケン、トゥーン湖を回ってくるドライブに出かけた。

チューリッヒから近い、ルツェルン湖畔に位置するルツェルン市は、ピラトゥス山とリギ山に囲まれたスイス有数の観光都市。14世紀にロイス川に架けられた屋根付きの「カペル橋」が観光のシンボル。橋の屋根の上に等間隔で並ぶカモメの写真が私の留学時代のアルバムの中に残っている。この橋、1993年に火災にあい、橋の多部分が焼失したが、その後再建されたとのことで再訪した。
まだまだ火災の爪痕は残り、痛々しい限り。

カペル橋

火災の様子を説明するポスター

焼け跡が痛々しい。

ルツェルン駅は大幅に改築中で、以前の面影はない。この駅の湖側にひと際目を引くモダンな建物は、ルツェルン・カルチャー・コングレスセンター(KKL)。ここにはコンサートホール、ルツェルンホール、ルツェルン美術館、会議場が併設されている。

ルツェルン・カルチャー・コングレスセンター(湖に突き出るひさしが特徴)

KKRのコンサートホールは、世界トップクラスのオーケストラ、指揮者、演奏家たちが集まることで知られるルツェルン音楽祭のメイン会場となる。
ルツェルン市内は、日曜日ということでほとんどの店は休みだが、中国や中東からの観光客相手の高級時計店やお土産屋は営業しているのには驚かされた。
ルツェルンを後にして、峠越えでインターラーケンに向かう。峠から、天候が悪かったにもかかわらずブリエンツ湖を望む素晴らしいパノラマを楽しむことができた。

峠からブリエンツ湖を望む

峠を降りると、木彫りで有名な村、ブリエンツに。ブリエンツは、インターラーケンからの観光船が到着することと、夏季にロートホルン山頂までSLの定期運行があることで知られている。

ブリエンツ駅(左)と右手には観光船の船着き場

ブリエンツ湖は東西に細長く、長さ約14km、幅約2.8km、最大水深は260m。ブリエンツ駅前のホテルのレストランで昼食を済ませ、ブリエンツ湖の右岸の道路を使ってインターラーケンを目指し、20分で到着。
街の名前が湖の中間を示すインターラーケンは、トゥーン湖とブリエンツ湖の間に位置する。これまでインターラーケンはユングフラウ登山などへ向かう際の拠点であったが、ユングフラウ山麓のグリンデルワルトでのホテルの部屋数が増加する観光客に対応できないことから、大型のホテルが整備されているインターラーケンに泊まる観光客が増え、街は賑わっている。当日は日曜日であったが、駅に向かうメイン道路に沿って観光客相手の青空マーケットが開かれていた。

駅に向かうインターラーケンの目抜き通り

観光客で賑わう青空市

駐車場に帰る途中で見つけた日本庭園は、インターラーケンと姉妹都市の滋賀県大津市が寄贈したことがわかる。両市は湖が取り持つ縁で姉妹都市になったもの。

大津市から寄贈された日本庭園
インターラーケンを後にして、約30分トゥーンの左岸を走ってトゥーン市に到着。日曜日ということと、大きな観光地ではないことから、街は閑散としている。トゥーンは12世紀にツェーリンゲン公により築かれ高台のトゥーン城を中心に、中世の雰囲気を今に色濃く残す街並みで知られている。

トゥーンの旧市街
お城は時間がないので遠くから眺めるだけ。街を散策した後、トゥーンから流れ出るライン川の支流アーレ川にかかる木製の水門を見学した。
アーレ川に水量をこの水門で制御することで下流地域を洪水から守っている。

アーレ川に設けられた木製の水門

水門手前の街並み

水門からの流れを利用してサーフィンを楽しむサーファーが

トゥーンを後に、本来はベルンを回ってリーエンに帰る予定であったが、折からの連休の影響で高速道路が渋滞していたの、ベルンを回避してリーエンに帰った。

続く