竹田城跡

8月19日(金)の朝、急に思い立ちドライブを兼ねて人気急上昇中の兵庫県朝来(あさご)市「竹田城址」を訪れた。

中国道池田JCTから、吉川JCTを経由して舞鶴若狭自動車道、北近畿豊岡自動車道を通り和田山JCTで降りて、約2時間弱のドライブで竹田城跡の麓の一般駐車場に。駐車場に隣接する「山城の郷」で昼食をとった後、シャトルバスで天空バス停留所に行く予定が、真夏というのにお客さんが多く積み残される。仕方なくタクシーで天空バス停留所に。竹田城跡は急に人気が出たこともあり、道路インフラの整備が後手に回っている。山城の郷から天空バス停留所までは、車の離合が難しい細い一方通行の道。シャトルバス、タクシーしか通行できない。

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シャトルバスとそれを待つ観光客。中央のやまの上に竹田城跡が見える
天空バス停留所から、竹田城跡の大手門入り口まで急な登りの道を徒歩で20分。この日、大阪市は全国一の38.1℃を記録。幸い竹田城址は標高が354mと高いこともあり、この日の気温は33℃。しかし、上り坂が急なこともあり、木陰側の道を選んでも途中で何度も立ち止まり、給水休憩を取ることに。やっと、大手門に着くと、そこには素晴らしい眺望が待っていた。大手門横の北千畳からは、竹田市街と丸山川を望む絶景が望める。

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大手門

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北千畳から竹田市街と丸山川を望む

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北千畳の木陰で休憩する観光客

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二の丸付近から播但連絡道路の虎臥大橋を望む(アーチが12連続したコンクリート橋で、その美しさから人気が高い)
竹田城は、但馬守護の山名持豊が時代の中期に築城したとされる。羽柴秀吉の但馬攻めにより羽柴秀長が城代に、その後赤松広秀が城主となった。関ヶ原の戦いの後は廃城となったものの、石垣はそのまま残った。雲海の発生する秋から春にかけての早朝は雲海に浮かぶ竹田城跡を見ることができ、近年東洋のマチュピチュとも呼ばれ多くの観光客を集め、平成18年には「日本100名城」に選ばれた。
竹田城の石垣は、近江穴太衆による穴太流石積み技法が用いられている。
二の丸から天守台を巡り、最後は南千畳に。ここからの天守台の眺めが素晴らしい。

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穴太流の石積み

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天守台を望む

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南千畳の端に立つ一本松

南千畳から一方通行の急な道を下って天空バス停に戻る。バスの便が少ないので、タクシーで下山。JR竹田駅前の旧街道に残る古い町並みがを通り、元の駐車場に戻った。
雲海に浮かぶ城址としては、大分県竹田市の岡城址の方が竹田城址よりも前から有名で、観光地としての整備も進み、車でのアクセス、城址をめぐる遊歩道の整備も進んでいる。竹田城址も今、その対応に追われている。観覧券代として大人一人500円を集めているが、このお金を有効に使って、より多くの観光客を集めることができるようなインフラ整備を進めることを期待したい。