都城への旅

宮崎県の都城市に出張した。都城は熊本大学に在職中に一度訪れたことあり、今回が2度目の訪問となる。
10月9日、10時50分伊丹発のJAL2433 便で宮崎空港に。不発弾の爆発で注目を集めた宮崎空港。現在は、「宮崎ブーゲンビリア空港」に名称が変わり、今年で愛称決定10周年ということで、空港内ではいろいろな催しが行われていた。空港前のバス停付近には、赤や紫色のブーゲンビリアが咲いていて、南国情緒にあふれていた。

愛称決定10周年のフラッグ

バス停前のブーゲンビリアがお出迎え

宮崎空港のバス停

昼食を空港でとった後、13:05空港発のバスで都城に向かう。バスは市内から東九州自動車道に入り、高城を経由して、都城ICで降りる。この地点からの眺めで、霧島山地と鰐塚山地に囲まれた広大な都城盆地を実感できた。高専前、道の駅都城のバス停の後、約1時間の乗車で都城駅前停留所に到着。

日豊本線の都城駅

駅前のホテルの窓から高千穂峰が望める
都城市は人口16万人の宮崎県第二の都市。駅前のビジネスホテルに宿をとったが、15時のチェックインまで時間があるので、荷物をホテルに預け、駅から徒歩15分の神柱(かんばしら)公園と神柱神社(神柱宮とも呼ばれる)を訪ねた。神柱神宮に隣接する神柱公園は大きな樹木に囲まれた芝生公園で、子供の遊べる遊具、子供広場、親水広場があり、よく整備されている。

年見川に設けられた親水歩道

水生植物(ホテイアオイ)による浄化施設

神柱公園の芝生公園(背後に見えるのは都城市総合文化ホール)
神柱神宮は、島津荘を開いた平季基(すえもと)が1026年に伊勢大神を勧請し創建したとされ、天照皇大神と豊受姫大神を主祭神とし、地域の人に篤く信仰されているとのこと。街のランドマークになっている大きな一の大鳥居は、昭和54年4月に開催された宮崎国体を記念して建立され、高さは25mで、建立当時、鉄筋コンクリート製では日本一の高さだった。

一の鳥居

神柱宮の看板

神柱宮の拝殿

神柱公園に隣接する都城市総合文化ホール

10月10日の13時30分から、農水省のプロジェクトの中間検討会に出席。検討会の後、懇親会が宮崎名物の鳥料理専門の店で開かれた。新鮮な鳥の刺身、鶏肉の炭火焼を肴に宮崎の焼酎を楽しんだ。

鶏の刺身盛り合わせ(この量で5人前!!)

10月11日、現地見学会で霧島高原近くに設置されたパイロットプラントの見学に行った後、霧島連山を一望できる絶好のロケーションにある高千穂牧場のメタン発酵処理施設を見学した。農業環境保全及び有機資源循環施設として国が1/2、件が1/6補助して建設されたこの処理施設では、乳牛100頭の糞尿を処理している。糞尿をメタン発酵し、発生するメタンガスを使って発電するとともに、発生する消化液を貯留し農場に肥料として散布するシステムで、平成16年4月から稼働している。この施設、ドイツの技術が使用されていて、順調に稼働していたが、発電機のトラブルで現在は発電をストップしているとのことであった。

バイオマスプラントを紹介する看板

育成牛舎

バイオマスプラントの全景(左の建物が発酵槽、右手がガスホルダー)

 

メタン発酵消化液(これを牧草地に散布する)

消化液の貯留タンク(手前は散布用のタンク車)

広大な牧草地(ここに消化液を散布する、背後山が高千穂峰(1574m)

牧草収穫作業中のトラクターが見える

バイオマスプラントに設けられた火山活動監視カメラ(背後の山は霧島連山)

堆肥化施設

高千穂牧場は、酪農家が消費者とともに考え、語り合える場所と体験し研修できる接点を持ちたいとの願望から生まれた。この場所は、戦前に陸軍の都城歩兵第23連隊の射撃場で、戦後開拓農家に払い下げされ開墾された。(高千穂牧場、バイオマスプラントのパンフレットから)現在は、無料で一般に公開され、子供たちがこの牧場で動物や土や草花に触れて体験学習できる施設として人気を集めている。平日にもかかわらづ、多くの保育園児や幼いお子さん連れで賑わっていた。

高千穂牧場の案内看板

芝生公園で遊ぶ幼稚園児

幼稚園バス(クジラが車の屋根に)

園内のレストランで脂が乗った宮崎豚の焼き肉の昼食をとった後、車で宮崎空港まで送ってもらい、宮崎発JAL2438便で帰阪した。

旭川への旅

15年前から梅雨のない北海道で6月か7月に友人達とゴルフを楽しむことが恒例となっていたが、コロナ禍以降は中止でした。今年は、再び北海道でのゴルフが企画された。同じような考えを持つ人が多いのと、海外特に韓国からのゴルフツアー客が増えたこともあり、夏場の北海道のゴルフ場はどこもフルブッキング。残念ながら、6月か7月にプレーを予約することができなかった。結局10月2日に恵庭市にあるエルムカントリーでプレーすることになった。今回、札幌ということで、体調を崩している旭川の友人を訪ねることにした。
9月30日(月)、9:10に関空から千歳空港に飛び、JRで札幌駅まで移動。札幌から旭川行の特急「カムイ17号」(13:00発)で旭川に移動した。車内は平日ということもありガラガラの状態。(JR北海道が大幅赤字に苦しんでいる状況が理解できる)夕張山地と増毛山地の間を流れる石狩川によって形成された石狩平野を、石狩川沿いに列車は函館本線を北上して旭川をめざす。
列車は岩見沢、美唄と石狩川に沿って右手に夕張山地を眺めながら北上。

美唄駅のホーム

夕張山地(右側)に見ながら列車は石狩平野を北上する

道路はまっすぐにのびている

カムイ号は、砂川駅、石狩川の支流の空知川を渡り滝川駅に停車。滝川駅の次は深川駅に停車した。駅の名前に“川”がついていて、地域が石狩川と密接に繋がっていることの現れである。札幌から深川駅まで全くトンネルがなかったが、深川駅からは夕張山地を抜ける長いトンネルが続いた。札幌から旭川まで快適な1時25分の列車の旅となった。
JR旭川駅は2011年に建設されたモダンな日本最北の高架駅である。旭川駅は、函館本線、宗谷本線、富良野線の起点となる重要な駅になっている。駅ビルを出ると駅前の広大な広場が広がる。

旭川駅

広大な駅前広場

左手にはイオンモール旭川店。目の前の駅前交差点を渡ると旭川買物公園に、ここは旭川駅から8条通りまでの1㎞の幅20mの通りを、1972年に歩行者天国にしたもので、旭川の商業の中心となっている。2002年に、ロードヒーティング、段差をなくするバリアフリー化、電線の地中化等のリニューアルがなされ現在に至っている。

旭川買物公園

宿は駅から5分のホテルにとった。午後3時半から友人が車で旭川市内を案内してくれた。夕食前に有名なラーメン村で旭川ラーメンを食した。

旭川ラーメン(少しこってり目の鶏ガラ、豚骨のスープで、麺は固めの中太のちぢれ麺)

その後、居酒屋で北海道の郷土料理で1次会、2次会は友人の知り合いの寿司屋で北海道の新鮮な魚を肴に旭川の地酒「男山」を楽しんだ。

10月1日の午前中に、友人に車で昭和通りから石狩川をまたぐ旭橋を渡り、陸上自衛隊旭川駐屯地に隣接する「北鎮記念館」に連れて行ってもらった。北鎮記念館では北海道の開拓の歩みと防衛を物語る資料を展示している。

北鎮記念館(駐車場からの写真)

正面入口を入り、簡単な手続きを済ませた後、順路に沿って館内を見学した。まず屯田兵のコーナー。北海道の開拓と維新で職を失った士族の救済を目的に、屯田兵制度が始まった。屯田兵には北海道の開拓に加えて、有事には北海道を防衛にあたることが求められた。石狩平野には多くの屯田兵が入植したが、札幌近郊には士族の入植が、旭川周辺には平民の入植が多かったとのこと。

屯田兵に支給された作業服と軍服

次いで、旧陸軍第七師団関連の展示コーナーに。明治29年に北海道防衛のために札幌に創設された第七師団が、明治34年に旭川に移転され、「軍都旭川」が生まれた。日露戦争における旧陸軍第七師団関係の資料、大正、昭和における旧陸軍第七師団の活動の歴史と貴重な資料が展示されていた。

第2代北海道長官でもあり、初代第七師団長で屯田兵の育ての親とされる「永山武四郎」の胸像との看板と第七師団の看板

石狩川の取水口から3㎞にわたり土中に埋められ使われた木製の水道管

吉葉山は1942年に応召され、山砲兵第七連隊に入営。入営して2か月は軍服がなく羽織・袴で過ごした。(写真2列の右端が吉葉山)吉葉山は復員後4年間のブランクを乗り越え稽古に励み、1954年1月に第43代横綱に昇進した。

最後に、大東亜戦争における旧陸軍第七師団の戦闘の展示があった。記念館の裏には、旧陸軍第七師団の哨所や指令部門柱が展示されていた。

建物の裏に展示されている第7師団の哨所や指令部門柱

見学後、昼食に旭川で人気の市内高砂台にある蕎麦処「扇松園」に友人に連れていっていただき、江丹別産の蕎麦を使った10割蕎麦をいただいた。そばの味もさることながら、量も十分で満足な昼食となった。

昼食後、旭川駅まで送ってもらい、旭川駅始発の「ライラック号」で札幌駅に向かった。

旭川発札幌行の特急「ライラック号」