生口島を訪ねて

5月12日、尾道のホテルを8時15分に出て、尾道バイパス海道に入り、向島、因島を通り抜け、生口島北ICで降り、生口島に。海沿いの道を走り、耕三寺に8時50分に到着。9時から開門。

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耕三寺の山門(閉門の写真は珍しいかも)
耕三寺は、初代住職・耕三寺耕三(元実業家)が母の菩提寺として昭和11年より30年余りの歳月をかけて建立された浄土真宗本願寺派の寺院。(耕三寺博物館のパンフレットより)境内には奈良・平安時代の浄土教の有名寺院をオマージュして建立された建物が配置されている。本堂前に建つ孝養門の原作は日光東照宮陽明門。実測図をもとにそっくり立てられ、西の日光と呼ばれている。

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孝養門

本堂は京都宇治平等院鳳凰堂が原型となっている。

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耕三寺本堂(修理中で裏側から)

未来心の丘に向かう途中に、多宝堂が右手に見える。このお堂は大津の国宝石山寺の多宝塔が原型。

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正面に多宝塔、左側に修理中の本堂

これら建物は平成15年に国登録有形文化財に指定されている。

次いで、同じ境内にある「未来心の丘」の見学に。この「未来心の丘」は、現在イタリアで活躍する広島出身の杭谷一東氏が設計・制作した大理石庭園で、2000年10月に開園している。エレベータを使って「未来心の丘」に続く大理石でできた白いアプローチを進むと、庭園の中心部にそびえる「光明の塔」に。

心の丘スロープ

「未来心の丘」に続く大理石のアプローチ

光明の塔は仏教護法の十二天より「日天(にってん)」が放つ光(希望)の塔をイメージして制作されたオブジェ。光明の塔の周辺に植植えられている羽衣ジャスミンが満開を迎え、ジャスミンの香りに包まれた見学となった。

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光明の塔

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光明の塔から瀬戸内海を望む(右側に高根島が)

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満開の羽衣ジャスミン
未来心の丘の見学終了後、耕三寺山門を出て、道路向かいの耕三寺博物館に。この博物館には、耕三寺耕三のコレクションが展示されている。「仏教美術」「茶道美術」がコレクションのメインで、「快慶作 宝冠阿弥陀如来坐像」「唐花鴛鴦八稜鏡」「佐竹本三十六歌仙 紀貫之」など、多くの重要文化財、重要美術品を収蔵している。見学時には、特別展として美人画で著名な北野恒富没後70年を記念した「北野恒富」が開催されていた。
博物館を出た後、しおまち商店街を散策してお土産物を購入。

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商店街の途中に国宝三重塔で有名な曹洞宗「向上寺」への案内板を見つけ、看板に沿って向上寺につながる山道を登る。途中に生口島出身の画家「平山郁夫」のスケッチポイントに。

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「向上寺」に向かう山道の「平山郁夫」のスケッチポイント(手前に耕三寺、その背後に未来心の丘が望める

さらに山道を登ること約5分で国宝「三重塔」に到着。この三重塔は生口島の領主小早川信元・信昌によって1432年に建立され、藤原朝臣の作。この三重塔は、室町時代の禅宗建築の粋を集めたもので、この時代のものの中では最も美しいとされている。九厘までの高さは19m52㎝。

国宝三重塔
三重塔から急峻な階段を下り、しおまち商店街に戻り、生口島を巡る旅は終了。

坂の街尾道

5月11日に尾道、12日に生口島に出かけた。
尾道は今回で2度目の訪問となる。大阪から中国道―山陽道を経由して4時間かけて尾道に到着。有名な一番館で尾道ラーメンの昼食を取った後、千光寺ロープウェイを使って山頂駅に。頂上展望台からは、天候に恵まれたこともあり最高の尾道水道の眺めを楽しむことができた。尾道水道の中央に位置する尾道港の対岸は、造船で有名な向島。尾道市街と向島は、フェリー以外に、尾道大橋と新尾道大橋(しまなみ海道)で結ばれている。

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山頂展望台からの眺め(水道の向こうが向島)
造船業が衰退したこともあり、向島のドックに新造船の姿が見えないのは、造船日本を知っている世代だけに寂しい限りである。
その後、頂上から下って、朱色の本堂と鐘楼で有名な尾道を代表する真言宗のお寺、千光寺にお参り。千光寺に至る途中で、ポンポン岩と呼ばれる鼓岩に。

巨石

太鼓岩(手前)から尾道水道を望む

しまなみ大橋3

千光寺から新尾道大橋を望む(ロープウェイのロープが右下に)
備え付けの斧で太鼓岩の指定された場所をたたくと、ポンポンと鼓に似た音が聞こえる。多くの観光客がたたくことから岩がへこんでいる。もう一つ千光寺で有名なのは、光る珠が乗っていたといわれる玉の岩。(周り50m、高さ15mの巨石で、ロープウエイのゴンドラからは真下に見下ろすことができる)この岩の頂点に光を放つ宝玉があったという伝説があり、千光寺のいわれはこの玉の岩にあるとされている。現在は、岩の頂に宝玉の代わりに白い玉が置かれ、夜になると三色に輝くとのこと。
千光寺にお参りした後、多くの映画のロケ地となった急な石畳の階段を下って、二つの文学記念館(中村憲吉旧居、志賀直哉旧居)を見学。このあたりには人懐っこい猫がのんびりとひなたぼっこをしている。

階段

尾道水道の見える坂道

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急峻な階段が続く

猫

整備された階段横で日向ぼっこする猫

坂道

志賀直哉旧居に繋がる細道(ここはよく整備されている)

その後、宝土寺、光明寺、海福寺、持光寺と、階段や坂道、細い路地をたどって寺参り。中でも持光寺の門は尾道石工が花崗岩で作ったもので目を引いた。

持光寺

持光寺の石門

最後に、二階井戸を見学。この井戸は急峻な地域に住む尾道で、一階の住民も二階の住民も共同で使えるように工夫されている。現在は水道が普及しているので使われていない。

井戸

二階井戸(上に住む人はつるべを使って井戸水を汲み上げる)

寺巡りの後、尾道本通り商店街を通って、尾道駅に。駅前は再開発が進み、水道に面したウォーターフロントもよく整備されている。ウォーターフロント沿いに設置されたパラソルの下で、スケッチを楽しんでいる外国人カップルが印象的に残った。

船着き場

駅前桟橋

 

 

撫順炭鉱

今回が2回目の撫順訪問となる。瀋陽市の東方約60kmに位置する撫順市は、撫順炭田を中心に発展した鉱工業都市で、かつては「石炭の都」と呼ばれた。しかし、現在は石炭の発掘量が減少し、撫順の石炭を原料とした化学工業は、大慶からパイプラインで運んでくる石油を原料とした石油化学工業にシフトしている。
前回は15年ほど前に、大連理工大学の楊教授、張副教授と、撫順市の中国石油の工場排水の処理場を視察の際に訪れた。当時は大連から瀋陽まで飛行機便があり(今は新幹線があり、航空便は廃止されている)、瀋陽に泊まり、翌日車で撫順を訪問した。工業都市の撫順は、市内を流れる渾河(こんが)には水が少なく、しかも汚染されて、こんな内陸部の化学工業団地は問題が多いのではと懸念した記憶がある。
この15年間で撫順は大きく経済発展し、現在の人口は230万人。これまでの瀋陽からの鉄道に加えて、路面電車も走るようになり、道路もよく整備されている。市内に入り渾河沿いに巨大なリング状モニュメント(Ring of Life)が目に飛び込む。

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撫順市の巨大モニュメント(Ring of Life)
この巨大なモニュメントは3,000トンの鋼材製で、12,000個のLEDランプが埋め込まれている。朱先生の話では、このモニュメントに余りにも金を掛けすぎて、中央政府からお叱りを受けたとのこと。渾河沿いには高層のアパートが林立している。

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渾河沿いに林立する高層のアパート群(道路向こうに見えるのが渾河)
渾河は農業シーズンで農業用にかなり使って水量が低下しているとのことであったが、15年前よりも水量が多く、河川もそれほど汚染されてなく安心した。
三宝屯下水処理場を見学した後、遼寧城建設院有限公司のスタッフから、下水処理場以外にどこか見学したいところありませんかと聞かれ、中学の社会の授業で習ったことを鮮明に記憶している「撫順の露天掘りの炭鉱」を見たいと答えたところ、近くですから案内しますとの返事。

市内から車で10分ほどに露天掘りの現場を見渡せる展望所「東崗現景台」に到着。

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東崗現景台

展望台からは、世界最大規模の巨大な露天掘りの現場を見降ろすことができる。長さ5㎞、幅3㎞、深さが450mの規模。すり鉢状に露天掘りされていて、掘り出した石炭は大型トラックで、鉄道の集積場に運び、そこから貨車でらせん状の線路を使って地上まで運び出す様子をうかがうことができた。

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先が霞む露天掘りの現場

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谷底(深さ450m)で採炭が行われている

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中央に石炭を運ぶ貨車が

この撫順炭鉱も鉱脈が尽きつつあり、近く閉山されるとのこと。問題はこの採掘現場をどのように活用するかである。このままの状態で放置すると地下水と降雨で水深450mの湖ができることなる。埋め戻すことは非現実的で、撫順市は廃棄物の処分場としての活用を考えているとのこと。それには、地下水を汚染しない防水対策と、浸出液の適正な処理が求められる。

撫順市三宝屯下水処理場

2017年4月21日に撫順市三宝屯下水処理場見学を見学した。この下水処理場では一日40万トンの下水が処理されている。処理場の設計を担当した遼寧城建設院有限公司に東北大学の朱教授の博士課程の社会人学生張君が勤務していることからこの見学が実現した。(ちなみに張君は、桂林理工大学の卒業生で熊本大学に交換留学している)

遼寧城建設院有限公司のスタッフ3人に連れられて、この処理場の運転管理を請け負っている中核撫順環保科技有限公司を訪問し、情報交換した後、施設の見学をした。

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撫順市三宝屯下水処理場の管理棟

中国の下水処理場の運転管理は民間委託されている例が多い。三宝屯処理場は中国国有の原子力発電大手の中国核工業集団(中核)が請け負っている。(管理棟に中核の看板が架けられている)汚泥処理も含めて下水1m3あたり0.8元(約13円)とのこと。
この処理場は、一期工事で建設された処理施設(20万m3/日)の回分式活性汚泥処理施設と、第二期工事で建設された処理施設(20万m3/日)のA2O法の処理施設から構成されている。

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処理場の施設配置図

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処理施設を紹介する看板

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処理場の全景(右側にSBR,左側にA2O処理施設)
最初、A2O処理施設を見学した。処理は順調に行われていた。ただ、嫌気槽の撹拌機でこれが度々トラブルを起こしているのが問題とのこと。槽内のMLSS濃度は約4,000mg/Lで運転されていた。沈殿池ではスカムの浮上もなく良好な固液分離が行われていて澄明な処理水が得られている。

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A2O処理施設の全景

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A2O処理施設の沈殿池

処理水はUV殺菌されていた。

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処理水のUVによる消毒

処理水の水質はSS濃度は1-2mg/L、COD<10mg/L、T-N<10mg/L、 T-P<0.5mg/Lと極めて良好で、現在は河川放流されている。今後は発電所の冷却水など工業用水として処理水の再利用を考えているとのこと。

次いで、汚泥処理を見学した。余剰汚泥は直接脱水されていた。凝集剤として、PACと石灰を使いフィルタープレスでの脱水。中国製の脱水機で、脱水汚泥の剥離は自動ではなく、作業員が付きっ切りで行われていた。

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作業員による汚泥の剥離作業

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ろ布の洗浄の様子

ろ布の洗浄は脱水が終わった後に行われていた。(日本製の脱水機では、汚泥の剥離、洗浄は自動で行うのが一般的である。)脱水汚泥は、含水率80%で、一日150トン発生し、埋め立て処分されている。

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脱水汚泥

この処理場では遠心脱水機の導入を図るとのことで、すでにその備えつけ工事が行われていた。

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新たに導入される遠心脱水機

最後に、SBR処理施設を見学した。ここもリアクタ内のMLSS濃度は約4,000mg/Lで運転されていて、排水流入1時間、反応1時間、沈殿1時間の3時間サイクルで運転され、反応時のDO濃度は1.5-2.0mg/Lとのこと。

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SBRリアクタ

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SBR施設のデカンタ

これまでに、沢山の中国の下水処理場を見学していたが、この処理場は非常にうまく運転管理されていて、北京市高碑店下水処理場に匹敵するレベルであった。