忍野八海

7月21日から24日、山梨県甲州市の「勝沼ぶどうの丘」で開催された第12回日中韓のジョイントワークショップ(The Joint Workshop Advanced Engineering Technology for Environment and Energy)に参加した。これまで日中韓の拠点大学(大阪大学、大連理工大学、釜山国立大学)が交替で開催してきたが、今回は山梨大学がホスト大学となり大阪以外の場所での開催となった。日中韓三カ国から教官、大学院学生を含め40人の参加があった。
「勝沼ぶどうの丘」には、宿泊施設、会議場、レストラン、温泉施設が備わっていて、ワークショップに最適な施設。甲府盆地を見渡す小高い丘の上に建ち、周りはぶどう畑に囲まれている。特にレストラン、温泉施設からの夜景は素晴らしく、新日本三大夜景に選ばれている、山梨県笛吹川フルーツ公園からの夜景にも匹敵し「勝沼ぶどうの丘」の最大セールスポイント。

勝沼ぶどうの郷駅から「勝沼ぶどうの丘」を望む

ワークショップが開かれたイベントホール

「勝沼ぶどうの丘」には地元ワインが展示販売されている

「勝沼ぶどうの丘」から甲府市を望む素晴らしい眺め

「勝沼ぶどうの丘」から望むぶどう畑

収穫をむかえるぶどう棚

山梨大学・森教授のワークショップ開会の挨拶

ワークショップ参加者全員で記念撮影

22日がワークショップで、23日はエクスカーション。勝沼ぶどうの丘を8時半にバスで出発し河口湖経由で富士スバルラインを使って富士山5合目を目指す。当日は梅雨明け前のぐずついた天気で、河口湖から富士山は望めず。5合目からの富士山が見えることを期待したがそれも叶わなかった。5合目には曇りにも関わらず多くの観光客。その多くが中国人であった。

富士山5合目のレストラン

5合目から富士山への登山口

河口湖湖畔の公園

昼食は、立派な門構えのほうとうの店

野菜(ハクサイ、カボチャ等)が沢山入った大ボリュームのほうとう

その後、河口湖から山中湖方面に向かい、「忍野八海(おしのはっかい)」に到着。「忍野八湖」は、富士山の伏流水に水源を発する湧水池で、富士講の信者が富士登拝に先立ち、8つの湖沼群において水行を行ったとされる富士修験の霊場であった。「忍野八海」は1934年に国の天然記念物に指定され、1985年には環境庁から「名水百選」に選定されている。加えて、2013年には、「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。
バスを降りて「忍野八海」に続く道には、観光客相手に多くの店が並び、火曜日というのにすごい人出の中国人観光客。最初に「湧池」、そこを少し進むと、左手に大きな池が見え、多くの観光客で賑わっていた。この池は「中池」と呼ばれ、人工的に造られたもので、忍野八海の「八つの池」には含まれていない。この中池に行くには、土産屋を通って行かなければならないということは、土産屋が観光用に整備したものと思われる。池の中央に深さ10mのコバルトブルー色の中池いは多くの魚が泳ぎ、吸い込まれるような透明度の高い池で、観光客が覗き込んでいる。

平日でもこの賑わい

お土産屋を通り抜け中池に(左回りで池を回る)

中池をのぞき込む(透明度10m)

中池には魚が飼育されている

その後、菖蒲池、濁池、御釜池を巡った。

神秘的な「御釜池」

「名水百選」に選定された湧水としては、私が住んでいた熊本県の「白川水源」も有名であるが、観光客の数は「忍野八海」の方が圧倒的。以前、テレビ番組で、外国人に人気のコースは「東京―富士山・箱根―京都・大阪」で、ゴールデンルートと呼ばれていることを知った。平日での富士山5合目、忍野八海の中国人観光客の賑わいを見て納得したが、このインバウンド人気が続くと、ゆっくり名所鑑賞が出来なくなる危惧が残る。

支笏湖に遊ぶ

顧問をしている会社の社員旅行で、7月12日から2泊3日の北海道旅行に出かけた。
札幌市内とルスツリゾートに2泊。ルスツから千歳空港に戻る途中、サクランボ狩りと支笏湖観光。ルスツを出たバスは巨大なカルデラ湖である洞爺湖を左に眺めながら湖岸道路を走る。

国道わきの畑に咲くジャガイモの白い花

中央左の山の頂上に立つのがザ・ウインザーホテル洞爺

有珠山、昭和新山を通り過ぎ、壮瞥町内でサクランボ狩りに。サクランボは今が旬で、連休ということもあり、多くの観光客で賑わっていた。サクランボ農園の駐車場からは、赤い地肌の昭和新山を近くに望めることができる。

国道から望む昭和新山

サクランボ農園の駐車場から昭和新山(左)と有珠山を望む

昭和新山は昭和18年の有珠山の噴火活動で人里近くの麦畑が隆起してできた標高398mの溶岩ドームの山で、国の「天然記念物」に指定されている。昭和新山の噴火では大きな被害が出た。今でも泥流で埋まった町営住宅がそのまま残っていて、車窓から見ることができる。昭和新山は有珠山とともに、周辺地域が「洞爺湖有珠山ジオパーク」としてユネスコ世界ジオパークに認定されている。有珠山は数十年間隔で噴火を繰り返していて、バスガイドによると次の噴火が心配されているとのこと。

サクランボ狩りの後、支笏湖に向かう途中にある、「三階滝」に立ち寄った。この滝、三段の層をなして清流が流れ落ちることから「三階滝」と名付けられた。

三階滝

滝の近くの小さな洞窟の前に、「甘露法水」と名付けられた湧水がある。飲んでみると少し甘みも感じる美味しい水であった。この湧水は、長寿延命や安産、子孫繁栄などに御利益があるとのことで、伊達市の隠れた名水スポットになっている。

甘露法水を飲むために並ぶ

バスが駐車した場所周辺は公園として整備されていて、タンポポモドキが満開だった。

三階滝公園で満開のタンポポモドキ

この後、バスで20分ほど走り、支笏湖に到着。支笏湖は、北海道千歳市にある、周囲が40.4㎞、最大水深360m、平均水深265m、透明度17.5mの日本有数のカルデラ湖。支笏湖は水深が深く、全面凍結する前に冬が終わるので、日本最北の不凍湖になっている。支笏湖の深度は、秋田県の田沢湖に次いで国内2番目。透明度の方は日本で3番目。ちなみに一番は摩周湖で透明度28m。お土産屋が並ぶ坂道を100mほど下り、遊覧船の出る桟橋から水中遊覧船に乗り込んだ。遊覧船は船底の側面がガラス張りになっていて、透明度の高い支笏湖の底部を観察できる。(ハンドワイパーで頻繁にガラスの曇りを取らなければならない)まずは、多くの魚が出迎えてくれる。まるで水族館に来たよう。

出迎えてくれたエゾウグイ

 

アメマスやヒメマスも観察できるそうだが、エゾウグイのみであった。桟橋を離れると桟橋周辺の湖底の波紋が良く見える。

桟橋近くで観察できる波紋

船が湖畔を少し離れると、湖底の急激な落ち込みで水の色がコバルトブルーに変わる。残念ながら当日は雨で視界は悪く、遊覧船から景色を楽しむことはできなかった。

桟橋を後に次の観光スポットに向かう

すれ違ったもう一隻の水中遊覧船

約10分弱で、水中遊覧船の最大の見どころに柱状節理(ちゅうじょうせつり)を観察できるポイントに到着。柱状節理はカルデラができる時に、マグマが急激に冷やされ収縮した際に形成される割れ目のこと。まるで、切り出した石が散乱しているような地形となっている。この柱状節理の周辺にも桟橋で見たものよりも少し大きな魚が悠々と泳いでいるのを見ることができた。

湖底に広がる柱状節理

この後、遊覧船は桟橋に戻る。

 

支笏湖の名所となっている北海道最古の鉄橋「山線鉄橋」

桟橋にはペダルボートが

約30分の遊覧。天気が良ければもっと素晴らしい景色を楽しむことができはず。

粘土板マルチング法による緑化活動

鹿児島大学名誉教授で中国・東北大学の名誉教授でもある野崎勉先生が、日中の社会人と学生と一緒に、2005年から年に2,3回内モンゴル自治区通了市郊外科左翼后旗に広がる“ホルチン砂漠”の一角でモンゴル松による緑化活動を続けている。

6月21日、私も参加し野狼谷で狼を見学した後、通了市内のホテルに宿泊し、翌22日に“ホルチン砂漠”に向かった。バスで2時間半かけて“ホルチン砂漠”に到着。“ホルチン砂漠”にはモンゴル松を使った緑化現場以外に、昨年から野崎先生が独自に開発した“粘土板マルチング法”を適用した現場があり、まずそこ向かう。

砂漠の緑化法としてはストーンマルチング法が良く知られている。この方法だと石が現場に残るため、緑化された後の土地利用に問題がある。野崎先生が緑化に使用する粘土板は、縦80cm、横40cm、厚さ10cmの形状。原料として土、硬化剤として牛糞、補強材としてわらを使い、水を加えて混練し、天日で乾燥して作成する。現在粘土板の作成は、現地の農民の方にお金を出して依頼している。
この粘土板を8枚を1ユニットとして砂上に一定間隔で並べる。設置後、草の種を蒔いておくと、数か月で粘土板の隙間に植物が生えてくる。

1ユニット8枚の粘土板を敷き詰める

設置後数か月後の状況

私がこの粘土板マルチングによる緑化現場に入るのは、3回目。この4月までに野崎先生の手で、広さ1haの半砂漠地域に35,000枚の粘土板が設置されていた。

広がる緑化現場

1年後には牧草が膝の高さまで成長する

“粘土板マルチング法”では、1年後には粘土板は土に戻るので、緑化後の土地利用に問題はない。粘土板には保水性があるうえ、牛糞が練りこんであるので肥料として効果があり、適度な降雨さえあれば半砂漠地域の緑化が一気に進む。現在、粘土板の作成に土を使っているが、野崎先生は土の代わりに、生活排水の処理に伴って発生する脱水汚泥の使用を考えている。日本では下水汚泥は、嫌気性消化された後、焼却処理されている。焼却するのではなく、脱水汚泥を高温たい肥発酵させたものを土の代わりに使用すれば、物質循環に乗った理想的な砂漠緑化が可能となるので、期待したい。
この現場で、参加者が粘土板マルチング板による緑化現場の周辺にモンゴル松を植林した。

モンゴル松の植林

参加者全員で記念写真

この後、近くのモンゴル松による植林がほぼ終えた現場を視察した。ここでは5-8年前に植林したモンゴル松が人の背丈を超える高さまで成長し、以前半砂漠地帯であったとはとても思えない。地下には地下水が走っていて、すこしくぼ地の高度低い現場はモンゴル松の成長が良いが、小高い丘の上に植えたモンゴル松は水分不足で成長が遅れている。

人の背丈以上に成長したモンゴル松

半砂漠であったとは想像できない植林現場

小高い丘ではモンゴル松の生育が悪い。高い木は植林したポプラ。

植林現場に咲く可憐な花

この近くは、モンゴル松やポプラによる緑化が進み、樹間には草原が戻り、放牧が始まっている。

放牧状況

折角の緑化現場が、過放牧でもとの半砂漠に戻ることだけは避けて欲しいと願うばかりである。

中国・内モンゴル自治区へのオオカミツアー

2019年6月20日―22日に鹿児島大学名誉教授の野崎勉先生が企画した、内モンゴル自治区通了市カンジカでの植林とウズムチン野狼谷でのオオカミ飼育施設を見学するツアーに参加した。野崎先生は昨年日本オオカミ協会南九州支部を立ち上げ、支部長に就任している。今回は支部のメンバーが中心となったツアーで、18人が参加。(女性が9人、80歳代が2人、70歳代が11人)これに中国・東北大学の機械自動化学院の教官3名、大学院学生7名加わり、合計28人のツアーとなった。

20日の午前8時に瀋陽市駅前のホテルをバスで出発。高速道路を3時間かけて、通了市カンジカに到着。傳王大酒店(ボーワンホテル)にチェックイン。昼食後、砂漠の中の大自然原生林・大青溝(4A級の国家級旅遊景区)を見学にバス移動。大青溝までの高速道路沿いは緑化が進み、今年は雨も多かったこともあり、とても砂漠化が深刻な地域とは思われない。砂漠の中のオアシス大青溝には、これまで何度となく訪れている、5A級の国家級旅遊景区への格上げを目指し、道路や公園内の施設整備が進んでいる。今後の益々観光客に人気が出ることを期待される。

砂漠の中に出現する巨大なオアシス・大青溝

大青溝内の木漏れ日の回廊

大青溝の底部に出現する清流脇に整備されたウッドデッキ

ウッドデッキで記念撮影((前列中央が野崎先生)

5A級の国家級旅遊景区への格上げを目指し、道路工事が進む

21日、ウズムチン野狼谷の飼育施設の向けて出発。カンジカから約600㎞をバスで走る。バスは若い運転手がオートドライブモードで100km/hを守り、1-2時間おきにトイレ休憩を挟みながら進むので時間がかかる。途中、通遼市の管轄で通遼市から北西約350kmに位置する炭鉱の街「霍林郭勒市(ホーリンゴル市)」で昼食。霍林郭勒市は炭鉱の街として1893年に建設され、人口は現在約11万人の活気にあふれている。

露天掘りの炭鉱

石炭を運ぶ貨物列車と遭遇

石炭火力発電所

発電の温排水を利用した温水プール

昼食後、バスで広大な草原の中の一本道を進む。草原の丘の上には風車が林立し、送電線が草原の風景を害している。

高速道路わきに広がる大草原と遊牧民のゲル

大草原の丘に建つ風車群

15:00にやっと野狼谷に到着。

野狼谷の全景

入園して、マイクロバス2台に乗り換え、広大な草原内に設けられた広さ約1haの放し飼いゲージで飼育されているオオカミを見学。

ゲージの向こうにオオカミが放し飼いになっている

前を走る運転手が、ゲージ内に入る前に生きた鶏を捕まえ、それを片手に窓からぶら下げて走ると、早速数十匹のオオカミの大群がマイクロバスを追いかけてくる。本当に鶏をオオカミの中に放り投げるのかと思いきや、今回はオオカミに見せびらかすだけで持ち帰った。我々の前の観光客のグループの時は、投げ入れたみたいで、オオカミに食べられた鶏の羽が散乱していた。

鶏に釣られてオオカミが集まる

一斉に運転手の持つ鶏にくぎ付け

なかなか鶏を投げ入れてくれないので半分あきらめ顔のオオカミ

ここで飼育されているのはユーラシアから北米の森林や草原、半砂漠地帯などに広く分布するハイイロオオカミ。分布する地域や餌の状況で大きさに差があるが、平均20-25㎏とシェパードを少し小さくしたサイズ。広いケージの中で餌付けされていることもあり、飼育人には慣れている。一般の観光客は柵を出るまでマイクロバスの外に出ることはできない。

飼育員と戯れるオオカミ

オオカミの巣穴

野崎先生が4月に下見でここを訪れた時は、1パック10匹ほどのオオカミゲージの中で飼育されていっていたとのこと。2-3か月でこれほど増えたとは思われず、意図的に夏の観光シーズンに向けて多くのオオカミを放したと思われる。この狼谷には、放し飼いのオオカミ以外に、展示用に大型の黒狼が飼育されていた。

大型の黒色オオカミ

狼谷は周辺の広大な草原観光と相まって、観光施設として人気が出ているようで、敷地内には、乗馬施設、展示館、宿泊用のゲル等が整備されていた。

準備中のオオカミのモニュメントと展示館

宿泊用のゲル

オオカミは、分布域が広く、個体数も多いことから絶滅の恐れはないとされている。日本のようにオオカミが人の手で意図的に絶滅された地域では、食物連鎖の頂点に立つオオカミがいなくなったことからシカやイノシシが増加し、林業や農業に大きな被害が出て大きな社会問題になっている。現状はハンターによる個体数コントロール(狩猟圧)に依存しているが、ハンターの数が減少していて効果は限られる。長期的な対策として、アメリカ・イエローストーンやアイダホ州では、オオカミの再導入に成功していることから、オオカミの導入による森林生態系における食物連鎖の復活が提案されている。
野狼谷を見学して、通了市に帰る途中に、草原の頂きに立つ巨大なチンギス・カンの石像を見学した。ここも多くの観光客で賑わっていた。

チンギス・カン(後)とフビライ(前)の石像

草原で記念撮影する観光客

ここから、ホーリンゴル市を経由して200㎞離れた通了市に。通了市内のレストランで夕食を済ませ、碧桂園大酒店にチェックインしたのが夜の11時。この日の走行距離は、900㎞を超え、それはそれは疲れた、長い、長い一日でした。