OrscholzでのTreetop Walk

トーリアからSarrbrukenへはルクセンブルグ経由で帰った。

道路沿いの南側斜面には広大なブドウ畑が広がる。モーゼルワインの生産地である。

モーゼル地方のワイン畑(リースリングを栽培)

ワインは畑とワイン農家

Orchloz近くの風力発電。ドイツでは電力の約12%は風力発電(2016年)でまかなう

Elmar先生が、Sarrbrukenに帰る途中に絶景の場所があると案内してもらったのがOrscholz(オルショルツ)にある一番新しい国立公園(Hunsruck Hochwald)中に建設されたTreetop Walkを楽しむ施設だった。

ビジターセンターで休憩

入場料10ユーロを支払って、Treetop Walkのスタート。この地点の高さは3m。
公園内に建造された緩やかな傾斜(最大斜度は6%)のついた木製の回廊を進む。

樹間を回廊で進むと徐々に高さが増す(Baumwipfelpfad Saarschleifeのパンフ写真から)

高い樹木の間の回廊を1km余り進むと高さは地上から23mにもなる。

タワー近くの回廊からはドイツトウヒの樹冠に手が届く

回廊の先に巨大な木製のタワー。車いすや老人、幼児でも登れるように設計された緩やかな傾斜のランプ(螺旋回廊)を5周回ると、高さ42mの展望台に(ここまでの距離は1,250m)。この展望台から、豊かな森林の中をヘアピン状に蛇行するザール川を望む絶景を楽しむことができる。

ランプを登ると展望台(42m)に

高さ42mの展望台

展望台から蛇行するザール川が

展望台から下を望む。展望台の下にも別の展望台が。

展望台の看板は、ザール川からタワーを見上げた様子

タワーとザール川を撮った航空写真(Baumwipfelpfad Saarschleifeのパンフ写真から)

この日は、野鳥や、リスに出会わなかったが、時期、時間によっては見ることができるようで、森林環境を体験学習できる。
展望タワーを降りて、再び別のルートで回廊を下ると出口に出て、回廊を見上げながら、林間をビジターセンタまで戻る。

回廊を降りてビジターセンターに向かう

国立公園の看板

タワーに向かう回廊

回廊下をくぐると左側にビジターセンター

ビジターセンターに到着(ここは、会議室、結婚式場としても使われている)

続く

欧州の運河

ストラスブール(フランス)から国境を越えて、Elmar自宅(ドイツのSaarbruken)に車で帰るのに、高速道路でなく、Elmarはあえて運河沿いの道をとった。WolframがFriburugに向かう運河沿いの道を走っている際、これがフランスの典型的な景色だと教えてくれたことを思い出す。

道路からの運河の様子
欧州には5万キロもの運河があり、フランスはその中心的存在。道路に並行して延々と続く運河の景色は人々を魅了して止まない。道路と運河の間には街路樹が植えられているが、多くは自転車道路が整備されている。欧州は日本ほどの高低差はないが、それでも大きな船が通行できるようにするには、閘門(Lock)を設けなければならない。Saarbrukenに向かう途中で、珍しい閘門があるということで、立ち寄った。この場所は高低差があまりにも大きいので、ボートリフトで斜面に沿ってボートを引き上げる、日本ではお目にかかれないものである。この閘門を利用できる船の大きさは限られ、レジャーボートの移動が主となっている。

ボートリフトの構造(出典:https://fr.wikipedia.org/wiki/Plan_incliné_de_Saint-Louis-Arzviller)

現場に着いたのが午後6時と遅く、運河の運行時間外。残念ながらボートリフトの稼働状況はみることができなかった。

駐車場からPlan Incline(Sait-Pouis-Arzviller)を望む

ボートリフト下の船溜まりには数隻のレジャーボートが停泊中していた。

画面中央に閘門が

ボートリフトの斜面

数隻のボートが停泊中

船溜まりを出て更に運河を下る

Elmarが停泊中のレジャーボートの船長に話しかけると、Saarbrukenから休日を利用して遊びに来ているとのこと。のんびりと、新緑の中で運河クルージングを楽しんでいる。余暇の過ごし方が羨ましい。運河沿いには、高速道路のSAのように船着き場があり、その近くには洒落たレストランがある。その日の夕食は、船着き場の横の運河に面したフレンチレストランで。

レストランから停泊中のボートが見える。

レストランの大きな窓越しに、山間にある小さな教会が見える

運河沿いのサイクリングロードはサマータイムを採用していることもあり、夜の8時半を過ぎても明るく、サイクリングを楽しむ人がいる。

運河沿いの芝生を、日本では目にしない雁?のつがいが散歩中。

続く

 

世界遺産の観光都市ストラスブール

ETH留学時代に一緒に研究したドイツSaarland大学の教授であるElmar Heinzle教授が住むSaarbrucken市を訪問する旅程を友人のWolframに計画してもらったところ、Saarbruckenに近いフランス・アルザス地方のStrasbourg(ストラスブール)で待ち合わせ、Wolframm,Sevic夫妻、Elmar, Anna夫妻と一緒にストラスブールを観光することになった。
レラから、ラン川を渡ってフランスに入り、約2時間のドライブでストラスブールに到着。
ストラスブールは長年にわたりドイツとフランスが領有権を争った土地として有名であるが、1944年以降はフランスに属している。現在は、欧州評議会やEUの欧州議会を擁し、ブリュセルと共にEUの象徴的な都市となっている。また、イル川の中州にある都心には、1988年にユネスコの世界遺産に登録されたストラスブール大聖堂(またはノートルダム大聖堂とも呼ばれる)とアルザスの伝統的な木組みの家屋群があり、フランス有数の観光都市となっている。ストラスブールにはパリからTGVを利用すると2時間20分で行くことができる。

都心近くに新しくできた立体駐車場でElmar夫妻と合流。久しぶりの再会で、昔話に話が弾む。徒歩でノートルダム大聖堂を目指す。大聖堂は世界遺産で、大勢の観光客で賑わっていた。424年の歳月をかけ1439年に完成したゴシック様式の教会として有名。外壁はピンク色の砂岩でできていて建物全体が赤みを帯びた独特の外観になっている。

ストラスブルグ大聖堂を正面から見上げる


赤みを帯びた大聖堂の正面には無数の彫刻が

大聖堂の展望台へは、Wolframは拒んだので、4人で332段の細い螺旋階段を使って高さ66mの展望台に登る。市内を一望できるパノラマが広がり、ガラス張りの欧州議会の建物も見ることができた。

展望台からの眺め。中央奥のガラスの建物が欧州議会(写真をクリックして拡大で見てください)


展望台から望む大聖堂の尖塔(一部補修中)

一緒に展望台に登った仲間(左:Elmar、中:Sevinc、右:Anna)

階段からの眺め(屋根の上にも彫刻)

雨樋にも彫刻

大聖堂の中は何故か、11:30から中に入ることができなかったので、のちほど見学することにして、素敵な景色が楽しめるBaragge Vouban(橋)に向かった。ここからは、中世の橋とストラスブール大聖堂や、運河を航行する遊覧船が望むことができる。

中央に大聖堂が望める

左の運河に遊覧船が入る様子

素敵な景色を楽しんだ後、運河沿いを歩いて可愛い木組みの建物が並ぶプチット・フランスを散策する。

運河沿いの喫茶店

木組みの家並み

プチフランス地区を進む遊覧船

橋が旋回して遊覧船を通す

再び大聖堂に戻り、内部を見学。ステンドグラス、バラ窓、パイプオルガンが見事。

高い天井とステンドクラスが目を引く

バラ窓とパイプオルガン(右上)

大聖堂を出て、日本のテレビで紹介されていた大聖堂前のチョコレートショップ「クリスチャン」でお茶休憩。トリフチョコとチョコレートケーキを注文。濃厚なチョコレートの味で、地元の人に愛されている有名店であることに全員で納得。

大聖堂前を銃を持った兵士が警備

クリスチャン(店先のテントの下お茶とケーキを楽しむ)

トリフチョコとチョコレートケーキ

市内の教会では、Saint Thomas教会を見学。この教会にはノーベル平和賞を受賞したシュバイツアー(Albert Schweitzer)のレリーフが壁に掛けてある。正面左側にオルガンとシュバイツアーの写真。説明文を読むと、ストラスブルグ大学で哲学、医学を学んだシュバイツアー画バッハのオルガンコンサートをこの教会で開催し、その収益でアフリカでの医療活動をしたとのこと。

Saint Thomas教会の内部

教会内で展示されているシュバイツアーの写真と演奏に使ったオルガン

ストラスブルグでは、フライブルグと同様に都心への車の乗り入れが制限され市電、自転車での移動を促す交通政策が採用されている。

市内の道路(左は歩道、その右は自転車道路、中央は市電、その右は一方通行の車道)

自転車道路は2車線

おしゃれなデザインの市電

続く

 

フライブルグ再訪

5月15日にWolfram, Sevinc夫妻とレラから車で1時間半のフライブルグ(Freiburg)を訪問した。

ドイツの高速道路は速度制限がないと思われているが、多くの場所で最高速度が制限されている。トラックの多さに驚かされる。スイスに向かう道路の右レーンにトラックが数珠つなぎ。

スイス国境近くのトラックの行列

これはEUに加入していないスイスを通過するのための税関チェックのための渋滞。これだけ高速道路をトラックが走ると、その道路整備に多大なコストがかかる。有料道路になる日も近いとのこと。ちなみに、スイスの高速道路をスイス以外の国の車が走るには、年間40スイスフラン支払ったことを示すシールを車のフロントグラスに貼付しなければならない。EUのナンバープレートを紹介する。プレートの左上にEUのマーク。その下に国名が示されている。

ポーランドからのトラック

フライブルグ市内入る道路で、前にテスラの電気自動車が。1台2000万円もする高級車。

テスラの電気自動車

フライブルクはドイツ南部に位置する人口20万の観光都市で年間300万もの観光客が訪れる。1457年に設立されたフライブルグ大学が街の中心に位置する大学都市でもある。知人の大阪大学医学部の大西俊造先生が、フライブルグ大学医学部に留学してこともあり、ETHに留学していた時にフライブルグを是非訪れるよう勧められた。当時博士課程の学生であったWolfram,とSevincにフライブルグを案内してもらったのが最初の訪問。今回が3回目の訪問となる。
1970年代に酸性雨によってドイツ人の心の拠り所でもあったシュヴァルツヴァルト(黒い森)が枯死の危機に瀕し、なおかつ近郊に原子力発電所を建設する計画が持ち上がったのが契機となり、フライブルグ市はエネルギー面では脱原発・自然エネルギー推進を図った。大気汚染対策として自動車依存からの脱却と公共交通・自転車の強化を進めた。具体的には旧市街への自動車乗り入れを制限し、市電の郊外への延伸工事を行い、パークアンドライドを整備するなどの諸政策をとった。ドイツ環境支援協会による自治体コンクール「自然・環境保護における連邦首都」においてこれらの政策が高く評価され、1992年に「環境首都」としてフライブルグが表彰され一躍有名になった。

運河近くの駐車場に車を停め、マルティン塔をくぐって旧市街に。この塔にはマグドナルドが入っているが、街の景観を損ねないように控えめの看板、店構えとなっている。

以下、フライブルグ市街を散策の順序で紹介したい。

マルティン塔(地味な色のマクドナルドの看板)

カイザーヨーゼフ通りのアーケード

街の中を流れる小川(ベッヘレ)

ゴシック様式の砂岩造りのフライブルグ大聖堂

大聖堂の内部

美しいステンドグラス

大聖堂前で開かれていた青空市(野菜屋)

野菜屋では、旬のホワイトアスパラガス大量に販売されていた

ソーセージ屋(パンに挟んで、マスタードをつけかぶりつく)

パン屋(各種のライムギ系のドイツパンが売られている)

果物屋(路地物のイチゴが手ごろな価格で販売されていた)

大聖堂広場にある古い商館

昼食に注文したアスパラガスのプレート(バターソース味)このボリュームでスモールポーション

メインストリートを外れると素敵な街並みが

市役所前広場の石畳に見つけた姉妹都市のフラッグは、私の故郷松山市のものです。1981年に訪れた際に、松山市の物産展がここで開催されていたことを懐かしく思い出した。

フライブルグ市の他の姉妹都市のフラッグ(私がよく行く韓国・水原市・Suwonのフラッグもあった)

石畳にはアクセントの意匠が埋め込まれている

市内を流れる運河の中に突然ワニが現れる?

フライブルグ大学図書館前広場の噴水

ガラス張りのフライブルグ大学図書館

フライブルグ大学図書館前の駐輪場の様子

フライブルグ大学

フライブルグ大学のレストラン(Menza)

フライブルグからレラに帰る途中に立ち寄った町(Staufen)を流れる近自然工法で整備された河川

喫茶店の2階から川を望む

Staufenから黒い森を通り抜け、レラのWolframの自宅に帰る。フライブルグは晴れていたのに、山裾の街レラは雨模様。

続く

 

バーゼル市街散策

ドイツ、フランス、スイスの国境いに位置するバーゼルは、チューリッヒ、ジュネーブに次ぐ、人口17万5千人の第3の都市。バーゼルはライン川水運の最終遡行拠点で、スイス唯一の貿易港。織物工業や製紙業が発端となり、その工業生産に必要な化学薬品を供給する化学工業が次に発達した。世界的な製薬会社ノヴァルティスやロッシュが本社・工場を設置している。

バーゼルで一番高いロッシュの本社ビル(現在すぐそばに同じ外観のビルが建設中、右手に見えるのはライン川)

ポストドクとして、1981年4月から1年間スイス連邦工科大学(ETH)化学工学科に留学した際の博士課程の友人の多くが、学位取得後、バーゼルの製薬会社や化学会社に就職したこともあり、欧州出張した際には、バーゼルを訪問し、旧交を温めてきた。
スイス最大のカーニバルであるバーゼル・ファスナハトを友人と一緒に参加したことやバーゼル美術館(Kunst Museum)の豊富なコレクションに驚いた印象が残ってる。
今回、友人のHugoと一緒に5月14日にバーゼルの街を散策したので、歴史を引き継ぐ街の様子を紹介したい。

バーゼル大聖堂

大聖堂のステンドクラス

バーゼル市の市電(車輪が安全のためにカーバーされていて見えない。殆どが低床電車。郊外まで行くことができる市電は黄色の車体、車内で無線ランが使えることを示すマークがドアに

地元サッカーチームFCバーゼルのチームカラーでラッピングされた市電(FCバーゼルは屈指の強豪チームで、セレッソの柿谷曜一朗が移籍している)

高級ブランド店が並ぶショッピング通り(歩行者専用道路)

バーゼル市立劇場前の噴水状の彫刻(Tinguely作)

道路わきのごみ回収箱(道路は清潔そのもの)

バーゼル市庁舎(赤い壁面と壁画が印象的)

市役所の中庭の壁画

高級乳母自転車?(二人乗り)

街角には噴水が至る所に(噴水の水は飲用可能)

ライン川沿いのたばこ店が経営する喫茶店(もちろん喫煙OK)

ライン川渡し(両岸にロープを張り、ボートをロープにつないで渡る)

ライン川をまたぐヨハニター橋(市電も通る)

バーゼルからレラの友人宅に帰る途中、スイスとドイツの国境にあるリーエン(Riehe)にあるバイエラー美術館に立ち寄った。ギャラリーを経営し敏腕ディーラーとして名を馳せたバイエラーが集めた約200点のコレクションが展示されている。美術館の設計は、関西国際空港旅客ターミナルビル設計で世界的な設計家レンツォ・ピアノ。

緑に囲まれたバイエラー美術館

Alexander Calderが制作したモニュメント(Tree)

Giacometti-Bacon展が開催されていて美術館は賑わっていた。最終の展示室では、最新の映像技術で展示室の壁、床にGiacomettiとBaconのアトリエの紹介やインタビューフィルムが流れて感動した。

Giacometti-Bacon展のパンフレット

今回の欧州旅行の写真は、ソニーのミラーレスカメラα6000で撮影した。是非、写真をクリックして拡大してみてください。

続く

 

 

 

 

ルツェルン、インターラーケン、トゥーン湖を回るドライブ

5月13日に、バーゼル郊外リーエンに住むHugo、Anna夫妻の案内でリーエンから
ルチェルン、インターラーケン、トゥーン湖を回ってくるドライブに出かけた。

チューリッヒから近い、ルツェルン湖畔に位置するルツェルン市は、ピラトゥス山とリギ山に囲まれたスイス有数の観光都市。14世紀にロイス川に架けられた屋根付きの「カペル橋」が観光のシンボル。橋の屋根の上に等間隔で並ぶカモメの写真が私の留学時代のアルバムの中に残っている。この橋、1993年に火災にあい、橋の多部分が焼失したが、その後再建されたとのことで再訪した。
まだまだ火災の爪痕は残り、痛々しい限り。

カペル橋

火災の様子を説明するポスター

焼け跡が痛々しい。

ルツェルン駅は大幅に改築中で、以前の面影はない。この駅の湖側にひと際目を引くモダンな建物は、ルツェルン・カルチャー・コングレスセンター(KKL)。ここにはコンサートホール、ルツェルンホール、ルツェルン美術館、会議場が併設されている。

ルツェルン・カルチャー・コングレスセンター(湖に突き出るひさしが特徴)

KKRのコンサートホールは、世界トップクラスのオーケストラ、指揮者、演奏家たちが集まることで知られるルツェルン音楽祭のメイン会場となる。
ルツェルン市内は、日曜日ということでほとんどの店は休みだが、中国や中東からの観光客相手の高級時計店やお土産屋は営業しているのには驚かされた。
ルツェルンを後にして、峠越えでインターラーケンに向かう。峠から、天候が悪かったにもかかわらずブリエンツ湖を望む素晴らしいパノラマを楽しむことができた。

峠からブリエンツ湖を望む

峠を降りると、木彫りで有名な村、ブリエンツに。ブリエンツは、インターラーケンからの観光船が到着することと、夏季にロートホルン山頂までSLの定期運行があることで知られている。

ブリエンツ駅(左)と右手には観光船の船着き場

ブリエンツ湖は東西に細長く、長さ約14km、幅約2.8km、最大水深は260m。ブリエンツ駅前のホテルのレストランで昼食を済ませ、ブリエンツ湖の右岸の道路を使ってインターラーケンを目指し、20分で到着。
街の名前が湖の中間を示すインターラーケンは、トゥーン湖とブリエンツ湖の間に位置する。これまでインターラーケンはユングフラウ登山などへ向かう際の拠点であったが、ユングフラウ山麓のグリンデルワルトでのホテルの部屋数が増加する観光客に対応できないことから、大型のホテルが整備されているインターラーケンに泊まる観光客が増え、街は賑わっている。当日は日曜日であったが、駅に向かうメイン道路に沿って観光客相手の青空マーケットが開かれていた。

駅に向かうインターラーケンの目抜き通り

観光客で賑わう青空市

駐車場に帰る途中で見つけた日本庭園は、インターラーケンと姉妹都市の滋賀県大津市が寄贈したことがわかる。両市は湖が取り持つ縁で姉妹都市になったもの。

大津市から寄贈された日本庭園
インターラーケンを後にして、約30分トゥーンの左岸を走ってトゥーン市に到着。日曜日ということと、大きな観光地ではないことから、街は閑散としている。トゥーンは12世紀にツェーリンゲン公により築かれ高台のトゥーン城を中心に、中世の雰囲気を今に色濃く残す街並みで知られている。

トゥーンの旧市街
お城は時間がないので遠くから眺めるだけ。街を散策した後、トゥーンから流れ出るライン川の支流アーレ川にかかる木製の水門を見学した。
アーレ川に水量をこの水門で制御することで下流地域を洪水から守っている。

アーレ川に設けられた木製の水門

水門手前の街並み

水門からの流れを利用してサーフィンを楽しむサーファーが

トゥーンを後に、本来はベルンを回ってリーエンに帰る予定であったが、折からの連休の影響で高速道路が渋滞していたの、ベルンを回避してリーエンに帰った。

続く

eバイクでのライン川サイクリング

5月11日から21日まで、スイス、ドイツの友人を訪ねる旅に出かけた。

ドイツ南部のレラ市(Lorrach)に到着した翌日に、Wolframに天候がいいのでライン川沿いをバイクで走るツーリングに行こうと誘われた。レラ市の市役所近くの自転車ショップで、電動アシストバイク(eバイク)を借りる。ドイツではバイクショップが一番ナウい商売とのこと。店は多くのお客で繁盛していている。若い店員が4人もいて、手際よく客をさばいているのが印象的。

レラ市内のバイクショップ

レンタルしたスイス製のeバイク
これまでスポーツクラブでバイクをこいではいるが、買い物に使うママチャリ以外、ツーリングバイクには乗ったことがない。eバイクには、距離計、速度計と三段階のアシストモード(AUTO、ECO、アシストなし) の切り替えが備わっている。AUTOモードで走ると加速がよく、すぐに25km/hまで速度が上がる。風を切る音が心地よい。ドイツではオランダやフランスほどではないものの、自転車専用道路が進んでいて、危険を感じることなくツーリングを楽しむことができる。

レラ市郊外にビイーゼ川沿いを走ったあと山裾のブドウ畑を抜け、高速道路をくぐるとライン川で出る。

ビイーゼ川沿いの整備された自転車専用道路

ライン川本流

洪水制御のために整備された湿地を超えると、バイパスされたライン川に出る。
このライン川をバーゼルに向かって自転車専用道路を走った後、ライン川を渡ってバイパスされたグラン・カナル・ダルザス沿いの自転車道路を走る。この運河はライン川を走る船のための運河で、シップリフトで下流と繋がれている。

シップリフト(左側が下流)

このシップリフトをさらに下ると、フランスの水力発電所に。発電所の近くにあるレストランで飲み物休憩。
次に、ライン川の水の一部を分岐させたカナルド・ユナンギュ沿いのサイクリングロードを走る。この小さな運河は、自然保護を目的に作られたもので、途中には人工湿地もあり野鳥の楽園になっている。

農地を湿地に変更(中央に白鳥が)

段差を利用した小規模水力発電

この運河の最上流には競技用のカヌーの練習場があり、小さな子供を含む多くの人が練習していた。

ライン川の水を引き込んだカヌー練習場

この運河を離れて、近くの街で昼食。
再度、ライン川に戻り、バーゼルに向かって走ると、スイスとフランスの国境に。自転車なので難なく国境越え。ライン左岸の工場地帯を抜けると、バーゼル旧市街入る。

ライン川をまたぐ自転車と人が利用する橋

ライン川遊覧船

土曜日ということもあり、旧市街は多くの市民、観光客で賑わっていた。自転車を押しながら市街地を抜ける。

バーゼル市役所前のオープンマーケット

バーゼル大聖堂前の広場で開催されていた音楽祭に参加する合唱団の練習風景

子供を乗せる車を連結している自転車

ラインをまたぐ橋の近くで見つけた自転車の通行量を示す電光掲示板

自転車専用の交通信号

ライン川をまたぐヨハニター橋を渡り、リーエン市経由でレラに帰った。走行距離50㎞の快適なeバイクツーリングとなった。

続く

 

鹿児島ー指宿ドライブ

4月6日から8日、友人に誘われて鹿児島に出かけた。鹿児島は何度も訪れているが、今回はJR九州・指宿枕崎線の「指宿のたまて箱」を利用して以来となる。
2008年のNHKの大河ドラマで「篤姫」が放映された時も鹿児島が観光ブームになったが、今年の「西郷どん」で再び鹿児島に大きな注目が集まっている。
6日は、鹿児島の友人と大阪在住の3人が旧交を温める会で、天文館で薩摩料理を肴に、薩摩焼酎「村尾」で懇親を深め、お互い健康でいられることに感謝した。
7日には、中国・内モンゴル自治区で緑化活動を主宰している友人の野崎勉鹿児島大学名誉教授の車で、池田湖、指宿をめぐるドライブに。鹿児島市内から指宿スカイラインは、新緑の季節でまばゆいばかり。この日は、風が強くスカイラインの展望台では、黄砂の影響と雹まで降る生憎の天気で、折角の錦江湾を望む絶景を楽しむことができなかった。
指宿スカイラインを降りて、池田湖に。池田湖から百名山の一つで薩摩富士と呼ばれる標高924mの「開聞岳」が望める。

池田湖から開聞岳を望む

池田湖は直径約3.5km、周囲約15km、ほぼ円形の九州最大のカルデラ湖。深さは233mで「イッシー」で有名になった。「イッシー」の本体は大ウナギではないかと言われている。

神秘的な池田湖

池田湖のマスコット「イッシー」

池田湖の近くメディポリス内にある、リゾートホテル「指宿ベイヒルズHOTEL&SPA」で昼食。旧グリーンピア指宿がリノベーションされたホテル。すぐ横には、鹿児島大学の協力を得て新築した「メディポリス国際陽子線治療センター」。このセンターはホテルとの組み合わせた「リゾート滞在型陽子線がん治療」として全国的に大きな注目を集めている。

「メディポリス国際陽子線治療センター」(左)と「指宿ベイヒルズHOTEL&SPA」
昼食後、指宿市の隣の山川漁港の近くの「道の駅山川港」に立ち寄り、かつおの生節、山川漬、そらまめ羊羹を購入。国道226号線を使って鹿児島市に向け北上。途中、今年、4月2日にNHKの鶴瓶の家族に乾杯で紹介された、篤姫も使ったとされる「今和泉島津家伝来の手水鉢」が置かれている今和泉小学校前を通過して、近くの、道の駅「いぶすき彩花菜館」に立ち寄る。

ここの展望台からは、天気がいいと素晴らしい桜島、錦江湾を望むことができるが、桜島は輪郭がぼんやり見える程度。遠くに、大潮、中潮時の干潮時に砂州が現われ陸地と繋がることで有名な「知林ケ島」を、その右手の陸地側に今和泉小学校前を確認することができた。

中央に見える島が「知林ケ島」

右手の陸地側の建物が今和泉小学校の校舎
道の駅を出て、鹿児島方面に進むと右手にJX喜入石油基地の備蓄タンク群。この備蓄基地で日本の石油消費量と2日分が備蓄されている。

JX喜入石油基地の備蓄タンク群
鹿児島市内に入り、整備された産業道路北上。右手に豪華客船が見え、野崎先生から「マリンポートかごしま」と教えてもらい訪ねることに。停泊していたのは、バハマ船籍のクアンタム・オブ・ザ・シーズ(総トン数16.9万トン)で上海から約4800人の観光客を乗せて4月7日に入航したもの。昨年度、マリンポートかごしまにはクルーズ船が100回を超えて入航したとのことで、観光立県を目指す鹿児島県の熱意を大いに感じた。

「マリンポートかごしま」に停泊中のクアンタム・オブ・ザ・シーズ

「マリンポートかごしま」から望む桜島
夕食は、昨晩に続いて薩摩料理を堪能した。
最終日8日は、天文館からリムジンバスで鹿児島空港に。鹿児島中央駅に向かう道路の中央分離帯に植栽されたツツジが満開で美しい。

満開の分離帯のつつじ

緑化された市電の軌道(鹿児島駅前)
この日は黄砂の影響が少なく、高速道路に入ると右手に桜島が見える。

空港に向かうリムジンバスの車窓から望む桜島
空港にチェックインし、時間があるので屋上展望台に。滑走路越しに、霧島連山が望める。活発な火山活動が続いている、新燃岳から白煙の立つのが見えた。

鹿児島空港屋上展望台から望む霧島連山(右端が高千穂、中央左よりに新燃岳)

タンジアン・ラグーン

2018326日―30日、ベトナム・ハノイとフエに出かけた。目的は、327日にハノイで開催された熊本大学ベトナム同窓会に出席することと、バイク事故で大怪我をした、教え子のフエ科学大学のPham Khac Lieu副教授をお見舞いすることです。

Parkside Sunline Hotelで開催された熊本大学ベトナム同窓会には、ハノイ建設大学のLeu Tho Bach副教授を含む16人の同窓生と、日本ベトナム同窓会から2人の副会長、それと熊本大学から高島和希副学長、グローバル人材教育センター長・鳥居修一教授、人材教育センター・Quitan A. Tibgin教授、福村竜也国際戦略課長、3人の国際戦略課職員、私はゲストとして参加した。今回の同窓生の会合は、正式な熊本大学ベトナム同窓会発足に向けたもので、ベトナム同窓生、熊本大学の両者から、両国間の国際交流に向けて一致協力することが確認され、有意義な会合となった。

同窓会出席者の合同写真

翌日Leu Tho Bach副教授、Tran Hieu Hoa副教授(ハノイ建設大学)と一緒にフエに飛び、Pham Khac Lie先生自宅にお見舞いに伺った。5ヶ月前にバイク事故で左足を複雑骨折し、6時間にも及ぶ大手術を受けたとの話を聞き、驚くばかり。左足はいまだ金属のフレームで固定されている状態で、フレーム取るのにまだ1か月かかるとのこと。幸い足の骨折のみで済み、頭部は無事でこの夏には職場復帰できるとの話で一同一安心。夕食を最近オープンした素敵なレストランでPham君一家と一緒し、楽しい時間を過ごした。

洒落たフエの海鮮レストラン

Pham先生ご一家(右側)との夕食会

29日の午前中に時間ができたので、フエ空港に着陸する際に窓から見えたタンジアン・ラグーン(Tram Giang Lagoon)を観光

このタンジアン・ラグーンはフエ市街から15㎞に位置する東南アジア最大のラグーンで、その面積は52平方キロメートル。ラグーンにはO Lau, Huong 川、Bo川の大きな川が流れこみ、水深は2-4mと浅い。ラグーン周辺には300を超える村があり、30万人が住んでいる。これらの人はラグーンからの恵みで生計を立てている。魚、エビ、貝類、海藻など年間数千トンの水揚げあるとのこと。ラグーンであることから洪水影響を受けやすく、昨年11月の台風23号がもたらした大雨でタンジアン・ラグーンだけでなく、フエ市街も大洪水となり、大きな被害が出た。

フエ市街から車で細い道を走ること30分でラグーンに到着。そこから、観光客相手のボートに乗ってラグーン見学。巨大なラグーンでは、ある範囲を柵で囲み、魚やエビを呼び込む漁法を採用している。10分ほどボートで走ると、ポツンと現れる小さな島のレストランに到着。ラグーンで採れる新鮮な魚介類を楽しむことができる。

観光ボートの発着場

一面柵で覆われた水面。左上のかごは、魚をトラップするかご

干潟の中の小さな島に到着

 

 

 

 

 

島のレストラン、床は竹

レストランのある島の近くで見つけた枯れたホテイアオイ(この干潟が汽水であることを示している)

昼食には早いことから、エビを捕獲する現場を見せてもらう。ボートで柵の中に入り、細い目の網を仕掛ける。その後、水面を棒でたたいたり、ボートをたたくことでエビを驚かせ網にかける漁法。このラグーンは養殖池でないことからエビの密度は低く、残念なことに一匹も捕獲できなかった。

網をセットする

水面を叩きエビを驚かせる

レストランに戻り、新鮮な魚介類を選んで、調理を注文。新鮮なハマグリ、小エビ、オゴノリ(Gracilaria)、カニ、魚、魚のスープを楽しんだ。

小エビの空揚げとハマグリをゆでたもの

ゆでたカニ、卵が多く美味

オゴノリ

日本では、ベトナムで養殖したブラックタイガーが有名だが、これはメコンデルタ、ハロン湾で養殖されている。タムジャン・ラグーン近郊の海岸地域では、近年急速に養殖エビ生産が拡大している。ここで養殖されているのはバナメイという種のエビ。バナメイは病気に強く成長も早く、遊泳生活をすることから養殖密度をブラックタイガーの10倍以上に高めることができるのでバナメイの養殖が人気を集めている。そのため、水田を養殖池に変更し、養殖に必要な海水は、海岸の砂浜の地下4~8mからポンプで汲み上げて調達。今回は時間がなく、バナメイエビの養殖を見学することはできなかった。ブラックタイガーの養殖では環境破壊が問題視されているが、バナメイの養殖がその轍を踏まない事を祈りたい。

2018年の桜

3月25日(日)陽気につられて桜の開花状況を見に出かけた。
自宅前の造幣局の枝垂れ桜の開花が、ソメイヨシノの開花よりも早い。

予想通り枝垂れ桜はほぼ満開。

満開の枝垂れ桜

造幣局を出て、大川沿いを藤田邸跡公園に向かって歩く。大阪の桜の開花宣言は平年よりも8日も早く、3月20日。自宅から眺めると、うっすらとピンク色がかった桜並木が見える。日当たりのいい大川左岸のソメイヨシノはすでに5-6分咲き。多くの外国人観光客が盛んにカメラのシャッターを切っている。

DSC_2821

大川左岸の桜並木

藤田邸跡公園に入ると、多くの人が散策している。

満開の桃の花と、雪やなぎ、それに2-4分咲のソメイヨシノの競演。

藤田邸跡公園内の桃

雪柳

桃のピンクと雪柳の白のコントラストが美しい

満開のコブシ

26日の朝、自宅から大川沿いの桜を見ると一日で桜の開花が一気に進んでいる。
27日には、大阪で観測史上一番早い桜の満開宣言が出された。

桜ノ宮橋から桜で色づく大川を望む