PM2.5汚染

2月23日-25日、中国・北京に滞在していました。
23日に関西空港を飛び立つ際に、大連行きの便が、天候状況で降りられないときは瀋陽に向かいますとのアナウンス。北京のPM2.5が大連に飛来してきたのではと想像し、それならば、北京行きの便は予定通りに飛ぶし、北京の大気汚染はそれ程でもと期待して搭乗。

「北京空港に間もなく到着します」とのアナウンス。しかし、窓の外を見ると、まだ雲の中。まだまだ時間がかかるなと思っていた瞬間、ドーンとランディング。PM2.5で視界不良の中での着陸でした。よくこの視界不良の中で着陸できたと思うほどのスモッグ。
これまで、上海には冬に何度か訪問し、スモッグで全く太陽を見ることが出来ない状態でした。冬の北京は久しぶりの訪問です。報道では、北京のPM2.5汚染は上海の大気汚染と比肩するとのこと。冬は風が強くなる北京では、スモッグが飛ばされガスらないのが私の認識でした。風がない上に、北京の人口は増加の一途(2,000万人を超える)。冬には暖房用の石炭の燃焼と、増え続ける車の排ガス、これに風がない日が続くとPM2.5汚染が深刻な状態となります。北京に住む教え子の話では、ここ数日のPM2.5濃度は400μg/m3を超えているとのこと。日本のPM2.5濃度に関する暫定基準は、一日平均濃度が70μg/m3。(WHOの基準は20μg/m3)
今回の宿泊は、北京オリンピックのメイン会場である通称「鳥の巣」のすぐ隣に位置する北京グランドスカイライトキャティックホテル(北京凱迪克格蘭曇天大酒店)。部屋から鳥の巣がクッキリかと楽しみにしていたのですが・・・ガスっています。鳥の巣の奥のオリンピック記念タワーは霞んで半分位しか見えません。これらの施設は夜にライトアップされるのですが、それもこのスモッグで台無しでした。

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ホテルの部屋からスモッグにかすむ北京オリンピックスタジアム(左)とオリンピックタワー

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午後3時、ホテルの部屋から見た鳥の巣
中国にはこれまで何回となく足を運んでいる私ですが、PM2.5が400μg/m3を超えるような状況では、さすがにマスク無くして外を歩く勇気はありませんでした。25日、帰国前の時間を使って鳥の巣の見学に出かけました。(入場料50元)スモッグの影響で観光客はほとんどいません。スタジアムの内部には雪を使ったアトラクションが催されているようでしたがこれも開店休業状態。

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鳥の巣の全景(前の池は下水処理水の再生水)

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鳥の巣の内部(トラックの雪は運び込んだ?)

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背景のIBMタワーもスモッグで霞む
25日の帰国もスモッグでフライトがキャンセルになるのではないかと心配したのですが、予定通りに帰国できました。(ちなみに北京から大連行きは軒並みキャンセルでした)

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北京空港に向かう高速道路の様子
26日は大阪でも中国から流れ込んできたスモッグの影響でPM2.5濃度が最高で90μg/m3を超え、不要な外出を控えるようにとの注意報が出されました。(この日我が国で9府県で初めてのPM2.5注意報が出ました)27日には北京ではスモッグが解消され、青空が戻ったとのこと。27日-28日に熊本に出張していましたが、28日の朝は、中国からのスモッグが熊本に到着し、大阪と同じく晴れなのに熊本の空が霞んでいました。
日本では、PM2.5の影響が継続すると、酸性雨としてもその影響が現れるのではないかと心配されています。
韓国でも、中国からの越境してくるスモッグでPM2.5濃度が高く北京と同じような影響。これに加え、インフルエンザが蔓延しているとの報道されています。
このようにPM2.5問題は、中国本土のみならず、国境を越えて韓国、日本にも大きな影響を及ぼします。歴史認識で、日中韓の関係がギクシャクしていますが、こと環境問題には国境はありません。スモッグ問題を克服してきた日本の技術を中国に移転し、一刻も早くPM2.5問題が収束することを願わずにはいられません。

美ら海水族館

沖縄本島北西部の本部半島備瀬崎近くにある「海洋博公園」内の世界最大級の水槽を持つ「沖縄美ら海水族館」に2月17日に行ってきました。

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大水槽では、ジンベイザメが3匹悠然と泳いでいました。これに加え多くのマンタエイも泳いでいます。大阪では海遊館でのジンベイザメが有名で、一時期2匹のジンベイザメが飼育されていましたが、現在は小型のジンベイザメが1匹のみ。美ら海水族館の3匹のジンベイザメの展示には驚かされました。

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世界最大水族館観賞用窓と世界最大のアクリルパネルはギネスの世界記録に認定

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世界最大水族館観賞用窓で

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二匹のジンベイザメが悠然と通り過ぎる
沖縄では、プロ野球のキャンプが真っ盛りで、多くの熱心なプロ野球ファンが沖縄を訪れ、その多くがこの美ら海水族館を訪れます。美ら海水族館の駐車場はずらりとナンバープレートが「わ」のレンタカー。訪れたのは閉館間近の遅い時間だったのですが、それでも多くの観光客で賑わっていました。日本人ばかりでなく、最近は韓国、台湾、中国からの観光客が特に3月は多いそうで、暖かい沖縄での観光、ゴルフを楽しんでいました。

沖縄は現在、年間250万人もの観光客が訪れるそうで、観光が沖縄では主要な産業となっています。我々が沖縄に到着した2月17日に那覇空港の新しい国際線ターミナルビルがオープンしました。今後このターミナルビルを活用し、積極的により多くの観光客を海外から呼びたいとのことです。
海が綺麗で、観光開発の進んでいない沖縄本島北西部では多くのリゾートホテルが建設され、多くの観光客を呼び込んでいます。現在、名護市辺野古沖合に米軍基地が移転される計画が進んでいますが、凄まじいジェット戦闘機の騒音を耳にするたび、沖縄の人の基地の県外移転を望む声が心に響きます。基地のいらない平和な世界の実現を祈るばかりです。

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米軍基地の移転が予定される名護市辺野古沖合

大阪市内で積雪

地球温暖化の影響もあり、このところ積雪を見なかった大阪市内でも、2月14日未明から降り始めた雪が降り止まず、積雪4cmを記録しました。

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朝9時、銀橋を望む

本州の南を北上する「南岸低気圧」の影響です。自宅のリビングからいつも見える大阪城もOBPの高層ビル群も降り続く雪で捉えることができません。

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北陵中学の校庭に積もった雪

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泉布観(造幣局の応接所:重要文化財)の屋根に積もった雪

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造幣局の玄関前に描かれた車のわだち

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雪に霞むOBPの高層ビル街を望む

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雪の止んだ後のOBPの高層ビル街を望む

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パラペットに積もった雪

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雪と遊ぶカラス

 

東京では2週続けての大雪となるそうです。2月上旬の春を思わせる陽気とは裏腹に一転真冬に逆戻り。

温暖化の進行に伴う安定な天候が心配でなりません。

ベトナムの結婚式に出席して

12月10日ベトナム・ハノイに教え子のDo Phuong Khanhさんの結婚披露宴に出席してきました。ベトナムの結婚式に出るのは、これが2回目です。前回は、ホーチミン市で知人が結婚式場を経営していて、特別に結婚披露宴に飛び入り参加させていただきました。その結婚披露宴は、新郎のお父さんが政府の高官ということもあり、参加者がやたら多く、ファッションショーのようなアトラクションもあり、それは派手な披露宴でした。
今回の結婚式は、新婦のKhanhさんが博士号を持っていることら、それに釣り合うドイツで博士号を取得した外交官のDo Trung Giangさんが新郎。両家ともベトナムでは上流階級であることから、結婚披露宴への出席者はなんと600人。

Professor Furukawa (2)

カーンさんからの招待状

これまでに私の出席した結婚披露宴で一番多い出席者が多かったのは、教え子の喬君と成さん(二人とも私の研究室で博士の学位を取得しています)が大連で挙げた結婚披露宴です。この結婚披露宴では、成さんのお父さんが、瓦房店市の副市長であったことから、披露宴が2つの会場に分かれて行われ、出席者は500人を越える規模で、大いに驚かされました。
今回のハノイでのKhanhさんの結婚式は、ハノイ市の中心地にあるViet Xo Friendship Cultural Centerで行われました。天井の高いまるで体育館のような会場が披露宴会場。会場の規模は50m x 50mもあり、まず披露宴会場の大きさにびっくり。

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カーンさんの結婚披露宴会場の様子(まだ式は始まっていない)
会場には10人が座れる丸テーブルが配置され、このテーブルが全部で100卓。合計600人の席です。席は決まっていなくて、知り合い同士が好きなテーブルに着席します。席にはすでに料理とお酒が準備されていて、まだ乾杯も済んでいないのに飲食が始まっていました。我々のテーブルは、熊本大学に留学したことのある学生とその家族。戸惑いながらおもむろに飲食を始め、新郎、新婦の入場を待ちました。新郎新婦が両親とともに入場し、ひな壇に。普通は、祝辞はないのですが、今回は私が日本から駆けつけたということで、特別にスピーチさせて頂きました。日本語でスピーチし、それを日本語の上手なハノイ建設大学のLeu Tho Bach副教授がベトナム語に翻訳してくれました。私の祝辞の後、結婚指輪の交換、シャンパンシャワー、ケーキ入刀と続き、その後は祝宴に移ります。

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シャンパンシャワーの様子

新郎新婦は各テーブルに挨拶回り。一テーブル1分としても1時間もかかるから大変です。日本だと、友人、親戚からの祝辞や、アトラクションがありますが、ベトナムではそれもありません。私は一番前の席に座って教え子と食事と会話を楽しんでいて、ふと後ろを振り向くと、すでに空きテーブルが。食事の終わった参加者が三々五々席を後にし、新郎新婦、両親に挨拶して宴会場を後にします。日本では、最後の新婦からの両親にあててのメッセージ、新郎からの挨拶、両家を代表してのお礼の言葉と続きますが、ベトナムではこれらは全てなく、あっさりしたものです。ベトナムでは結婚披露宴を昼間にするのが多いそうで、まるで昼食を兼ねて披露宴に参加しているような印象を持ちました。
我々はほとんど最後に披露宴会場を出て、新郎新婦、両親に挨拶した後、記念写真をとり全て終了。

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新郎、新婦、ご両親と研究室の卒業生との記念写真
私の娘と歳が変わらないことから、ベトナムの娘のようなKhanhさんがいい伴侶に巡り合い、多くの人に祝福されての結婚。お幸せに!!

熊野三山の旅

10月21―23日、同窓会で南紀白浜と勝浦に出かけてきました。
台風27号の影響で、22日と23日の観光は生憎雨にたたられました。この地は何度と訪れていますが、今回はこれまでに訪れていない熊野古道ウオークが組み込まれたのですが、雨のため残念ながら中止となり、熊野三山(熊野那智大社、熊野速玉大社、熊野本宮大社)参りと、

ウオータージェット船による瀞峡観光にメインになってしまいました。
勝浦から那智の滝へ向かう途中に熊野川をわたりましたが、護岸には土嚢が積まれている箇所とブルーシートに覆われた箇所が続き、平成23年9月の台風12号の水害の大きさを実感。

熊野川の護岸修復工事の様子
その後、世界遺産、日本の滝100選、日本の名水100選に選ばれている那智の滝に。滝に向かう山道の杉並木の合間から、水害で被害を受けた箇所の重機を使っての修復工事が急ピッチで進んでいる様子が見えました。

急ピッチで進む修復工事

台風の影響の雨で水量が増え、那智の滝は勇壮でしたが、水害の影響で滝壺から流されてきたと思われる大きな岩が積み重なり、滝見台から滝壺を見ることはできませんでした。

滝見台からの那智の滝

滝見台の下にある延命長寿のお滝水
熊野速玉神社を参拝した後、残りの三山、熊野本宮大社に向かいました。熊野川を168号線で遡り本宮大社の向かう途中バスガイドさんから、熊野川の水害の様子の説明がありました。その中で、国道沿いの道の駅が流されたとの話を聞き、想像を絶する洪水の規模であったことを知ることになりました。熊野本宮大社を参拝のあと、ウオータージェット船の発着場である志古に到着。ここの発着場の建物も流され、再建されたそうです。ジェット船は、社員の必死の努力で流出を免れたことでした。

流出を免れたウオータージェット船を発着場から望む(洪水時の推移はこの手すりまで!!)

発着場に貼られていた水害の様子を示す写真

 
今回は、50年振りに何人かの同窓生に会えたことも嬉しかったですが、水の破壊力の大きさを再認識する旅となりました。

砂漠研修旅行(2)

9月7日に、内モンゴル自治区通遼市の中心市街地から30km離れたカンジカ地区からバスで40分近くの砂漠最前線で植林活動を終えた後、近くの原生林「大青溝」の散策に出かけました。この地域の砂漠には地下水が流れていて、乾燥地域に人手の入らない大規模な原生林が突如出現します。この地が砂漠化する前は、大きな川が流れていたのでしょう。乾燥化が進行して河川が消失した後、深く侵食された箇所に地下水が地表に現れ、長い時間をかけて原生林が構成されました。地上から100m近く長い階段を降りると、気温は一気に低下します。小川の流れる紅葉樹林帯の緑のトンネルの散策を楽しみました。砂漠と原生林の組み合わせに人気があり、土曜日ということもあり多くの観光客で賑わっていました。

眼下に広がる原生林「大青溝」

地下水の小川が原生林を育む
カンジカに帰る建設中の高速道路沿いの法面では、「草方格」による緑化工事進んでいました。「草方格」は、麦わらや樹木の枝を砂中に押し込み、約1mX1mの低い柵をグリッド状に作り、砂の動きを抑える砂漠緑化手法です。一部この「草方格」の効果でグリッド内に草木が育っていて、その効果をこの目で確かめることができました。

樹木の枝で作られた「草方格」のグリッド

グリッド内で草が根付く

緑化が進んだ道路の法面 (ここまで育つと砂は風で飛ばない)
7日はカンジカ地区のホテルに泊まりました。翌日8日は快晴、ホテルの部屋の窓から集合住宅の屋上に多くのソーラー給湯器が乗っかっているのが見えました。ちなみにソーラー給湯器の設置台数では中国が世界一です。日本では集合住宅の屋上に個人のソーラー給湯器を設置することは希です。

集合住宅の屋上に設置されたソーラー給湯器

部屋のすぐ近くに煙突2本見え、その1本から黒い煙がモクモク。石炭を燃やしているのでしょう。住居のすぐ近くで排煙対策が行われていない燃焼施設が稼働しているのをよく目にします。

住居の近くの煙突から黒煙が
ホテル前の商業施設の看板です。中国語の他にモンゴル語で看板が書かれています。私にとって始めて目にするモンゴル語です。

モンゴル語と中国語で書かれた店の看板
車のナンバープレート。モンゴルを意味する蒙がプレートのトップ文字です。

内モンゴルのナンバープレート

カンジカの街中でみかけたロバに引かれた残飯回収車
朝8時半にカンジカのホテルをバスで出発し、塔敏査干(ターミンチャガン)砂漠に向かいました。40分かけて砂漠に到着し、馬に乗って砂漠を見学しました。この地域は近年、観光地として開発されたもので、砂漠には馬、駱駝、サンドバギー車を使っての見学となります。足に自信のあるものは徒歩でも砂漠の散策は可能です。我々は馬を利用しました。ちなみに料金は40元(約600円)でした。普段は農耕に使っている馬を、観光用に転用。手軽に現金が得られることから現地の農家のいいアルバイトになっています。

利用する乗り物の値段表

サンドバギーが若者には人気

20分の乗馬で砂漠の撮影ポイントに(これ以上先に行くには追加料金が必要)

私の乗った白い馬
例年は年間降水量が500mmを下回る乾燥地帯ですが、ことしは雨が多いことから、砂漠にもまだらに草が生えているばかりか、我々が訪れた数日前に大雨があり、砂漠の中に水溜りまでが出来ていました。

砂漠に出現した水たまり

防風林に囲まれた広大なトウモロコシ畑
今回の訪問した内モンゴル自治区通遼市ホルチン砂漠は、以前に訪問した灼熱のタクラマカン砂漠と比べると乾燥度合いからすると迫力にかけますが、日本から一番近い砂漠ということで、多くの民間団体によってこの地で植林活動が行われていて、環境学習の場、観光スポットとして人気を集めています。

砂漠研修旅行(1)

鹿児島大学名誉教授、中国・東北大学名誉教授の野崎勉先生の主催する砂漠研修に参加し、植林を行ってきました。
25年前に、新彊大学出身のゾリフィアさんが大阪大学の研究員として派遣され、私が彼女を研究指導したことから、20年前に新彊ウイグル自治区のタクラマカン砂漠をゾリフィアさんの案内で行ったことがあります。その時、北京からウルムチまで4時間を超えるフライトで中国国土の広さを実感するとともに、飛べども続く広大な砂漠が印象に残っています。ウルムチからトルファンまでは広大な礫砂漠が行けども、行けども続いたこと、それに当時はまだ珍しかった風車が沢山設置されていました。カレーツ(蒸発を避けるために地下に築かれた水路)、ぶどう畑を見学してトルファンで一泊し、翌日は、トルファン市郊外にある観光名所、火焔山と交河故城の見学。こちらは、夏は50℃を超えることも珍しくない灼熱の砂砂漠の中でした。
こんな中国の砂漠のイメージを持って瀋陽市からバスで内モンゴル自治区通遼市近くのホルチン砂漠に植林に向かいました。行けども続くまっすぐに伸びた高速道路、その脇に広がる防風林に囲まれたトウモロコシ畑、高速道路の終点近くの草原ではこれまで見たことのないおびただしい数の風車群。中国政府の計画的な緑化とエネルギー政策が順調に進んでいること実感しました。

瀋陽市から通遼市に向かう高速道路沿いの中国華能の風車群
植林は、半砂漠状態の砂地にモンゴル松の苗木を植え付ける作業。すぐ近くには半年前に植林した松がかなり砂に埋もれているものの、元気に根付いていました。10年後のどのように植え付けた松が育っているか再訪したい念に駆られました。

植林の現場に向かう

モンゴル松の苗を植林、植林の後には水をたっぷり与えて終了

100本の植林を終えて
日本から遠く離れた内モンゴルの砂漠地帯で、野崎先生をリーダーとする日中のボランテイアグループによる植林活動が続けられていること、それも将来を担う若者が中心で行われていることに大きな感銘を受けました。
地球環境問題は異変が起こっている場所でのローカルな問題として捉えるのではなく、かけがえのない地球に住む全ての人の問題として捉えなければ解決の糸口は見いだせません。今回の砂漠研修はこの点を再認識できました。また、当時国として中国政府の砂漠化防止に取り組む強い姿勢が感じ取られ、ともすれば環境を軽視していると見られている中国の環境政策が大きく変わってきたとの印象を強く受けました。

安山(韓国)

韓国のエコイノベーション(EI)事業に採択されたアナモックスのパイロットプラントが安山市下水処理場にこのほど完成されたことから、8月28日(水)に滞在していた水原市から車で安山市を訪れました。
安山市はソウルの南西30kmに位置し、ソウルからは地下鉄で約1時間の距離で、人口約80万人の都市です。以前は農村であった安山に、1980年代に大規模な工業団地が整備され、ソウルから3K職場といわれる多くの中小企業の工場が移転してきました。移転当時は、大気汚染、水質汚染が深刻であったとのことですが、現在はかなり改善されてきています。IMF通貨危機以降、安山市では賃金の安い外国人労働者が増加し、安山市は「国境のないまち」とも呼ばれているそうです。駅前には、中国・ロシア・インドネシア・モンゴル・パキスタン・ベトナム・スリランカ・バングラデシュなどの食堂や食品店が、教会も中国朝鮮族教会・インドネシア教会・イスラムセンターなどがあります。

工業団地に入る

道路の両側に立地する工場

下水処理場でアナモックスのパイロットプラントを見学後、車で15分ほどの始華湖(シファホ)に立ち寄りました。安山の西側は海岸で、広大な干潟が広がっています。そこが、汽水湖の始華湖(シファホ)です。以前はここに未処理の工場排水が排出され、汚染が激しかったとのことですが、現在では下水処理が整備され汚染が改善されています。

始華湖には韓国で最初となる、世界最大規模の潮力発電所(発電量25万2千KW、2004年工事開始、2011年始動、世界最大のフランスのランス潮力発電所の容量(24万㌔㍗)を上回る。)が設置されています。始華湖潮力発電所は、京畿(キョンギ)道始興(シフン)市の烏耳島(オイド)にある始華湖と西海の間に建設された始華湖防潮堤に立地しています。始華湖潮力発電所は、満ち潮の時だけ発電する漲潮式発電方式で、1日2回、4時間ずつ発電です。引き潮の時、始華湖の海水面の高さが3㍍下がった状態で水門をふさぎ、満ち潮が始まれば、潮差が約2㍍になった時に水門を開き、流れ込む海水が直径7.5m、重さ53tのプロペラを作動させて発電するという原理だそうです。
www.toyo-keizai.co.jp/news/general/2011/post_4515.php‎

始華湖潮力発電所

干潟の向こうに見える仁川の高層ビル街
今回直接この発電所を見学することはできませんでしたが、広大な干潟を望む展望台から始華湖の全体を見渡せ、右手には仁川市の高層ビル街を望むことができました。展望台の周辺の道路脇には、海鮮料理の店が林立し、休日にかかわらず多くのお客で昼間から賑わっていました。

道路脇に立ち並ぶ海鮮料理の店

安山と水原を結ぶ最高速度が80kmの国道

 

なにわ淀川花火大会

なにわ淀川花火大会が、8月11日(土曜日)7:50から8:40にかけて新御堂筋淀川鉄橋より下流国道2号線までの淀川で行われました。
平成元年(1989年)から企業等に寄付を募り「平成淀川花火大会」が開催されてきましたが、2006年の第18回から「なにわ淀川花火大会」に名前が変更され、ボランティアによって構成される運営委員会が運営する手作りの夏の大阪の夜空を飾る花火大会です。
自宅のマンションの廊下から梅田のビル群が眺望できることから、どの程度花火を見ることができるか体験しました。

低く上がる花火は、梅田駅近くのビル群(グランフロント大阪)の合間からしか見えませんでしたが、高層ビルよりも高く上がる花火はマンションからもはっきりと見ることができました。

梅田のビル群に隠れる花火(花火の手前はブランフロント大阪)

打ち上げられる花火の数は未公表のため分かりませんが、2万発以上がったのではないでしょうか。1時間でこの数の花火がひっきりなしに打ち上げられるので、花火の音も連続してマンションまで届き、2km以上離れているにもかかわらず、ベランダから臨場感溢れる花火を楽しむことができました。

高く上がる打ち上げ花火(手前にグランフロントと観覧車)
ネットで調べたところ、この花火大会では、有料の観覧席(2,500円から8,000円)や納涼船(16,000円)もあるとのことで、来年は早めに予約してもっと間近で花火を楽しむことができればと思っています。

天神祭

1000年余の長い歴史を持つ、日本三大祭りの一つ天神祭りが、7月24日、25日に行われました。この春に引越しした自宅の町内で開催されたこともあり、2日間天神祭りを満喫しました。以下が、私の2日間の行動記録です。

24日の午後2時、天神橋2丁目の商店街を散策しました。商店街の商店の前に屋台が立つとともに、神輿が練り歩き商店街は祭り気分一色。


天神橋2丁目の入り口のアーケードに飾られている神様を迎える御迎え人形


商店前に臨時に設けられた屋台


天神橋2丁目商店街を練り歩く神輿

午後3時、天満宮の境内に入りました。境内では催太鼓(もよおしだいこ)巡行の準備中でしたが、地車囃子(だんじりばやし)が響き渡り、お囃子に合わせて踊る「龍おどり」が演じられ、多くの見物客でごった返していました。

催太鼓(もよおしだいこ)巡行の準備中の境内


天満宮の裏口にある「天満天神・繁盛亭」の軒先にはミストシャワーが

OAPのロビーではお迎え人形が飾っていました。展示されている御迎え人形の横に、昔の天神祭の様子の書かれた絵を見つけましたが、それには現在よりもはるかに多い御迎え船が描かれていました。

OAPに展示されていた御迎え人形「鎮西八郎」


昔の天神祭の様子を描いた絵

OAP裏の大川沿いのテラス前では薪能が行われていて、かぶりつきで川風に吹かれながら楽しむことができました。最後に演じられた「石橋(しゃっきょう)」には感動しました。赤獅子、白獅子の舞だけでなく、太鼓、笛、お囃子も迫力満点でした。銀橋沿いには奉納花火の前日から屋台が立ち、多くの若者家族連れで賑わっていました。

大川沿いの屋台の賑わい

 

薪能「石橋」

25日の午前中には陸渡御が行われ、催太鼓を先頭に大阪天満宮から天神橋北詰の船乗り場まで進むとのことですが、今年は所用でこれを見ることはできませんでした。来年の楽しみに取っておきます。午後5時に地下鉄南森町駅に着き、駅から自宅まで歩いて帰りましたが、大川沿いで上がる奉納花火の観客で道が混雑し始めていました。18:30から、大川をまたぐ桜ノ宮橋(通称、銀橋)が通行止めとなり、車道にも人が溢れます。19:30から21:00まで4,000発の花火が銀橋を挟んで2箇所から上がりました。我が家のリビングルームから、造幣局前川崎公園から挙げられる仕掛け花火を楽しむことができました。
残念ながら、帝国ホテルの対岸からの打ち上げ花火は隣の高層住宅が障害となり、花火の半分しか見えませんでした。しかし、人混みに揉まれることなく、大阪城をバックに沢山の美しい花火を息子、娘家族と楽しむことができました。

花火の鑑賞地点に向かう人々

 

奉納花火