撫順炭鉱

今回が2回目の撫順訪問となる。瀋陽市の東方約60kmに位置する撫順市は、撫順炭田を中心に発展した鉱工業都市で、かつては「石炭の都」と呼ばれた。しかし、現在は石炭の発掘量が減少し、撫順の石炭を原料とした化学工業は、大慶からパイプラインで運んでくる石油を原料とした石油化学工業にシフトしている。
前回は15年ほど前に、大連理工大学の楊教授、張副教授と、撫順市の中国石油の工場排水の処理場を視察の際に訪れた。当時は大連から瀋陽まで飛行機便があり(今は新幹線があり、航空便は廃止されている)、瀋陽に泊まり、翌日車で撫順を訪問した。工業都市の撫順は、市内を流れる渾河(こんが)には水が少なく、しかも汚染されて、こんな内陸部の化学工業団地は問題が多いのではと懸念した記憶がある。
この15年間で撫順は大きく経済発展し、現在の人口は230万人。これまでの瀋陽からの鉄道に加えて、路面電車も走るようになり、道路もよく整備されている。市内に入り渾河沿いに巨大なリング状モニュメント(Ring of Life)が目に飛び込む。

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撫順市の巨大モニュメント(Ring of Life)
この巨大なモニュメントは3,000トンの鋼材製で、12,000個のLEDランプが埋め込まれている。朱先生の話では、このモニュメントに余りにも金を掛けすぎて、中央政府からお叱りを受けたとのこと。渾河沿いには高層のアパートが林立している。

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渾河沿いに林立する高層のアパート群(道路向こうに見えるのが渾河)
渾河は農業シーズンで農業用にかなり使って水量が低下しているとのことであったが、15年前よりも水量が多く、河川もそれほど汚染されてなく安心した。
三宝屯下水処理場を見学した後、遼寧城建設院有限公司のスタッフから、下水処理場以外にどこか見学したいところありませんかと聞かれ、中学の社会の授業で習ったことを鮮明に記憶している「撫順の露天掘りの炭鉱」を見たいと答えたところ、近くですから案内しますとの返事。

市内から車で10分ほどに露天掘りの現場を見渡せる展望所「東崗現景台」に到着。

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東崗現景台

展望台からは、世界最大規模の巨大な露天掘りの現場を見降ろすことができる。長さ5㎞、幅3㎞、深さが450mの規模。すり鉢状に露天掘りされていて、掘り出した石炭は大型トラックで、鉄道の集積場に運び、そこから貨車でらせん状の線路を使って地上まで運び出す様子をうかがうことができた。

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先が霞む露天掘りの現場

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谷底(深さ450m)で採炭が行われている

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中央に石炭を運ぶ貨車が

この撫順炭鉱も鉱脈が尽きつつあり、近く閉山されるとのこと。問題はこの採掘現場をどのように活用するかである。このままの状態で放置すると地下水と降雨で水深450mの湖ができることなる。埋め戻すことは非現実的で、撫順市は廃棄物の処分場としての活用を考えているとのこと。それには、地下水を汚染しない防水対策と、浸出液の適正な処理が求められる。

撫順市三宝屯下水処理場

2017年4月21日に撫順市三宝屯下水処理場見学を見学した。この下水処理場では一日40万トンの下水が処理されている。処理場の設計を担当した遼寧城建設院有限公司に東北大学の朱教授の博士課程の社会人学生張君が勤務していることからこの見学が実現した。(ちなみに張君は、桂林理工大学の卒業生で熊本大学に交換留学している)

遼寧城建設院有限公司のスタッフ3人に連れられて、この処理場の運転管理を請け負っている中核撫順環保科技有限公司を訪問し、情報交換した後、施設の見学をした。

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撫順市三宝屯下水処理場の管理棟

中国の下水処理場の運転管理は民間委託されている例が多い。三宝屯処理場は中国国有の原子力発電大手の中国核工業集団(中核)が請け負っている。(管理棟に中核の看板が架けられている)汚泥処理も含めて下水1m3あたり0.8元(約13円)とのこと。
この処理場は、一期工事で建設された処理施設(20万m3/日)の回分式活性汚泥処理施設と、第二期工事で建設された処理施設(20万m3/日)のA2O法の処理施設から構成されている。

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処理場の施設配置図

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処理施設を紹介する看板

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処理場の全景(右側にSBR,左側にA2O処理施設)
最初、A2O処理施設を見学した。処理は順調に行われていた。ただ、嫌気槽の撹拌機でこれが度々トラブルを起こしているのが問題とのこと。槽内のMLSS濃度は約4,000mg/Lで運転されていた。沈殿池ではスカムの浮上もなく良好な固液分離が行われていて澄明な処理水が得られている。

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A2O処理施設の全景

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A2O処理施設の沈殿池

処理水はUV殺菌されていた。

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処理水のUVによる消毒

処理水の水質はSS濃度は1-2mg/L、COD<10mg/L、T-N<10mg/L、 T-P<0.5mg/Lと極めて良好で、現在は河川放流されている。今後は発電所の冷却水など工業用水として処理水の再利用を考えているとのこと。

次いで、汚泥処理を見学した。余剰汚泥は直接脱水されていた。凝集剤として、PACと石灰を使いフィルタープレスでの脱水。中国製の脱水機で、脱水汚泥の剥離は自動ではなく、作業員が付きっ切りで行われていた。

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作業員による汚泥の剥離作業

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ろ布の洗浄の様子

ろ布の洗浄は脱水が終わった後に行われていた。(日本製の脱水機では、汚泥の剥離、洗浄は自動で行うのが一般的である。)脱水汚泥は、含水率80%で、一日150トン発生し、埋め立て処分されている。

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脱水汚泥

この処理場では遠心脱水機の導入を図るとのことで、すでにその備えつけ工事が行われていた。

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新たに導入される遠心脱水機

最後に、SBR処理施設を見学した。ここもリアクタ内のMLSS濃度は約4,000mg/Lで運転されていて、排水流入1時間、反応1時間、沈殿1時間の3時間サイクルで運転され、反応時のDO濃度は1.5-2.0mg/Lとのこと。

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SBRリアクタ

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SBR施設のデカンタ

これまでに、沢山の中国の下水処理場を見学していたが、この処理場は非常にうまく運転管理されていて、北京市高碑店下水処理場に匹敵するレベルであった。

瀋陽建築大学を訪問

4月19日に瀋陽建築大学・遼河流域水汚染防治研究院院長の傳金祥教授の研究室を訪問した。先生とは2010年に瀋陽建築大学で特別講演を行った際にお会いしている旧知の仲。瀋陽建築大学は、熊本大学の工学部と自然科学研究科との間で、2010年に部局間の学術交流協定を締結しているパートナー大学。今回が4度目の訪問となる。
瀋陽建築大学は1948年に創設された東北兵工専門学校を前身とし、建築土木学を特徴とする遼寧省直轄の総合大学。以前は瀋陽市の中心部にあったキャンパスを現在の渾南新区に移転した。最初に大学を訪問した際には、大学周辺の開発が始まったばかりであったが、2008年に北京オリンピックのサッカーと、2013年の第12回国民体育大会が瀋陽市で行われたことで急速に開発が進み、市内から大学までの道路沿いには高層のアパートが林立しているばかりか、市電まで走るようになっていたのには驚かされた。キャンパスは建築学科の教授陣が設計した斬新なデザインで、敷地面積100万平方メートルに、44万平方メートルの特徴ある建物が配置されている。アジア最長の全長756メートルの回廊が教学区、図書館、生活区などを連結する独特な形式となっている。
傳先生の研究室は総勢39人の大所帯で、遼寧省で最も重要な河川である遼河の水汚染を防止する技術に関する研究に従事している。浄水処理、高度下水処理技術(A2O法、アナモックスの研究を含む)、湿地の浄化機能の研究、汚泥処理技術等の試験装置を見学させて頂いた。
学術交流の後、学内の食堂に移動する途中に、珍しい古い建物が目に入る。奉天医科大学の建物を移設したもので、現在は大学の保健センターとして使っているとのこと。

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瀋陽建築大学に移転された奉天医科大学の建物

次いで、同じく市内から移設してきた「八王書院」を案内していただいた。書院の内部は公開されていないので、内部を覗いたのみ。壁には歴代の科挙試験でトップの成績を収めた人物画が架けられていた。

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八王書院
八王書院の道路向かいに大学のキャンパスには、工学系の大学キャンパスではまず目にしない水田が。以前大学を訪問した時は、稲刈り前であったが、今回は田植えの前で水田を耕運した後。

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キャンパス内の水田

水田の隣には蓮田が。横に“千年古蓮”の石碑がある。千年前の蓮の種から育てた蓮を植えているとのこと。

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水田の横に配置された蓮田

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“千年古蓮”の石碑

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水田横の研究棟

これら水田や蓮田の世話は学生や教員がしているのかと思っていたが、実は農業の詳しい方を大学が雇用して栽培をしているとのこと。この他にも湿地や池がキャンパス内に配置されている。自然との共生を強く意識したキャンパス整備である。

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キャンパス内の池、奥に見えるのが図書館

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池の横の食堂に続く道
キャンパス内の食堂で傳先生の研究グループの先生方6人、東北大学朱教授、教え子の馬博士と大学の食堂で昼食を一緒した。食堂は3階建てで、一階、二階は学生用の食堂、3階が教職員専用の食堂となっている。大学キャンパスで栽培したブドウから作ったワインを頂きながら、美味しい中華料理を堪能した。

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大学の食堂

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食堂横の洒落たデザインの学生寮

 

吉野の桜

4月8日、友人に誘われて吉野の花見に出かけた。これまで大阪に住んでいながら、吉野まで花見のために足を延ばすのは初めて。近鉄阿倍野駅から近鉄吉野線の特急で吉野まで1時間16分。途中、古い歴史を刻む珍しい駅を通過。吉野口駅からは、吉野川の右岸をぐんぐんと高度をあげて電車は進み、吉野川を渡って終点の吉野駅に到着。

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今年の桜は全国的に3月の低温が影響して開花が遅れ、4月8日時点で大阪市内でも6-8分咲き。大阪市内よりも高度の高い吉野の桜は、しだれ桜を除いて下千本でも蕾の状態。(満開は最終的に4月17日にずれ込んだ)それでもあらかじめ日程の決まっているツアー客で吉野駅前は混雑。それでも満開時にはこれ以上の大混雑とのこと。

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吉野駅前(正面にロープウエイを望める)
駅前から日本一古い歴史を持つロープウエイ(全長350m)で吉野山駅まで。吉野山駅から黒門をくぐって観光客で混雑する門前町を歩く。

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黒門前の混雑

道に沿って多くの食堂やお土産屋さんが並ぶ。吉野では柿の葉寿司が有名。名店の「ひょうたろう」では長いお客の列。

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ひょうたろうの前のお客の長い列

細くて急こう配の参道を修験道の総本山金峯山寺まで歩く。

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正面に国宝仁王門

この時期、国宝仁王門平成大修理勧進のために、蔵王堂(国宝)の本尊である秘仏蔵王権現像(重文)3体が開帳されていてこれを見学。

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「金剛蔵王大権現」は、飛鳥時代に役行者が、金峯山の山上ヶ岳で1000日の修行の後に感得した権現仏。権現とは、権(仮り)に現われるという意味で、本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済するため、悪魔を降伏させる怒りの形相の姿で出現されたといわれている。真っ青な体で、赤い髪を逆立て、真っ赤な口から牙のばし、まさに怒りの形相の3体の仏像。右尊の千手観音が6.15m・中尊の釈迦如来が7.28m・左尊の弥勒菩薩が5.92mと大きい仏像に圧倒される。

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秘仏蔵王権現(パンフレットの左下に)

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金峯山寺を望む

金峯山寺をお参りした後、混雑した門前町を登り、左折して吉水神社に。吉水神社は、元は吉水院といって吉野山を統率する修験宗の坊僧であった。明治時代に神仏分離が行われ、吉水院は後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから明治8年に「吉水神社」と改められ、後醍醐天皇を祭神としている。(吉水神社の拝観券から引用)神社の境内に入ってすぐの左手に吉水院庭園。

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吉水院庭園

豊臣秀吉が吉野で大花見をした時に吉水院が花見の本陣となり、この花見に際して秀吉が自ら設計した桃山様式の日本庭園。この庭園から振り返って吉野山に目を移すと、カメラを持った多くの観光客が。ここが吉野山を望むと千本の桜が望める場所(一目千本といわれるゆえん)。

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ほのかにピンク色に染まった吉野山

生憎桜の開花はまだで、山全体が薄いピンク色にそまった状態であった。
この後神社のすぐ横の吉水書院を見学。吉水神社書院は、日本最古の書院で世界文化遺産に登録されている。

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吉水神社書院前の桜

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書院内には、役行者像、義経・静御前潜居の間、後醍醐天皇の御物、秀吉が花見の際に愛用した金屏風などの貴重な文化財が展示されていた。
吉水神社からもとの参道に戻って、東西院に。ここのしだれ桜が見ごろであった。

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東西院の見事な満開のしだれ桜

東西院から観光マップでも急阪と書かれている細い道を上ると竹林院。

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中千本の桜

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桜公園の満開まじかのしだれ桜

そこからさらに、急な道を上って、やっと今回招待をうけたSさんのヒュッテに到着。Sさんはこのヒュッテを自分の山から切り出した木材で建てたもの。ヒュッテのベランダからは、眼下に金峯山寺が望めるだけではなく、吉野の上千本の桜が一望できる。

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眼下に金峯山寺が

残念ながら今回は時期が合わなくて絶景を楽しむことができなかった。次回に期待した。Sさんが腕を振るってくれた猪鍋、柿の葉寿司を肴に大いに盛り上がった。

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猪鍋

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伝統的な柿の葉寿司の容器
帰りは、タクシーで近鉄吉野駅まで。我々のグループ以外お客はいない。最終の特急に乗ることができ、自宅に帰ると午後11時であった。

フンデルトバッサー設計の焼却施設

友人のドイツ・Saarland University教授(オーストリア人)が、神戸大学が主催した国際会議に招聘され来日した。彼は、大の日本通。今回は、どこを訪ねたいかと尋ねたところ、以前リムジンバスを使って関西空港から阪神高速で神戸に移動した際に見つけたフンデルトバッサーの建物を見学したいとのこと。フンデルトバッサーの設計した建物は独特で、彼は、母国が同じこともあり、一目で設計者が分り、大阪市の焼却施設であることを知らないままの見学希望。
私は、大阪市舞洲に建設された、この焼却施設はこれまで2回見学しているが、今回彼を案内して3回目の見学となった。(2017年2月6日)
まず、大阪市の「舞洲スラッジセンター」を見学した。 DSC_0219

舞洲スラッジセンター正面の壁

大阪市内にある12か所の下水処理場のうち、臨海部の8箇所の下水処理場で嫌気性消化処理された汚泥が汚泥圧送管で舞洲スラッジセンターに送られ集中処理されている。集められた水分98%の消化汚泥は水分80%にまで脱水処理された後、乾燥機で乾燥される。乾燥に要する熱エネルギーは後段の溶融炉の排ガスの熱交換で得られる400℃の水蒸気が使われている。乾燥汚泥は粉砕機で微粉状の汚泥にした後、1,400℃の溶融炉に吹き込まれ、瞬時に燃焼・溶融される。生成するドロドロに溶けた融液を水で急激に冷やすことで水砕スラグができる。この焼却・溶融処理で、投入汚泥は約1/15の体積の溶融スラグに変換される。生成した溶融スラグは、現在下水管の埋め戻し剤として有効利用されている。

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舞洲スラッジセンターの青色の煙突(タイルはドイツからの輸入したもの)

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水砕スラグ

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水砕スラグをスラグストッカーに運ぶ全自動運搬車
次いで、スラッジセンターに隣接する、大阪市・八尾市・松原市環境施設組合のごみ焼却施設・舞洲工場を見学した。2001年に竣工したこのごみ焼却施設は、450t/dの焼却能力のストーカー式焼却炉2基を有する大阪市内でも最大級の焼却施設である。
2008年のオリンピック誘致を目指していた大阪市が、オリンピック会場としての使用を考えていた舞洲を、自然環境と共生するオリンピック会場に整備することを念頭に、オーストリア・ウィーン郊外の「シュピッテラウ焼却場」の改装を手がけた自然保護建築家のフンデルトバッサーに舞洲工場のデザインを依頼した。

フンデルトバッサーはウイーン生まれの画家で、自然保護を訴えた建築デザインで著名。彼の独特のコンセプト(自然界には直線や全く同じものがないとの主張から、デザインには曲線を多く使い、同じものがないデザインとなっている他、建物緑化を積極的に取り入れている)で設計されている。彼の作品の中で、焼却施設はこの舞洲工場と「シュピッテラウ焼却場」しかないとのことで、姉妹焼却場として国際交流が続いているとのこと。

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舞洲工場のデザイン図(パンフレットから)

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舞洲工場の模型

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舞洲工場の正面の壁

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屋上庭園から煙突を望む

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高さ120mの煙突

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舞洲工場玄関からスラッジセンターの煙突を望む
フンデルトバッサーは日本人女性とも結婚したこともあり、名前のドイツ語を和訳した「百水」を雅号に持っている。彼は、舞洲工場の完成する1年前の2000年に71歳で死去していて、舞洲工場は彼の遺作とも言える。

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プルマウ温泉村(オーストリア)
今回時間の関係で、舞洲工場の緑化の状況をつぶさに見学できなかったが、工場3階の屋上は緑化公園として、建物の南側はビオトープとしてそれぞれ整備され、市民に公開されているとのことなので、季節のいい時に見学されては如何でしょうか?

雪国事情

一面銀世界の南魚沼は、雪のない大阪市内に住む者にとって、天候に恵まれたこともありこの上もなく魅力的。

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八海山の麓の雪景色
日本有数の豪雪地帯である魚沼地方では、今年は積雪が少ないそうで、例年の1/3とのこと。意外にも道路に雪は見られない。これは、道路中央に設けた消雪パイプのお蔭。地下水を汲み上げ、道路中央部から散水する。冬場でも地下水は水温が12-13℃あることから、地下水の散水で大きな融雪効果が期待できる。主要な道路では、降雪感知器が降雪を感知し消雪パイプが稼働しているとのこと。しかし、この消雪用に汲み上げる地下水量が増加し、地盤沈下が起っていて、その対策が急がれている。地下水を節約する方法として、汲み上げた地下水を路面の下に配置したパイプに通し、再び還元井に戻す「地下水循環方式の融雪施設」が開発されている。

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道路中央に埋められた融雪パイプからの地下水で融雪

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神社の駐車場で見かけた融雪ホース

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店の前の駐車場の融雪パイプ

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塩沢駅前の郵便ポスト

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ポスト周辺のコンクリート舗装の変色(散水した地下水に含まれる鉄分が参加され錆色がついている)
北海道や山間部では融雪水自体が凍るので、この融雪パイプは使えなく、道路に下にヒーターを入れるロードヒーティングが開発され、導入が始まっている。
建物を雪から守るのには、「防雪林」、「雪囲い」が一般的で、多くの建物は雪囲いで守られている。

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雪囲い(手前のポールは道路の位置を示す。積雪の多い時にはポールの先端付近まで積雪がある)

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そば屋の雪囲い(雪の多い時は雪囲いの上部まで積雪がある)

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雪囲いで守られた建物と建物を結ぶ通路

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南魚沼市で見かけた縦型の信号機
雪室見学の帰りに、塩沢の牧之(ぼくし)通りに立ち寄った。平成13年度の道路拡幅工事を数百年に一度のまちづくりの機会ととらえ、沿道の建替え家屋に関する協定、電線地中化、石畳の舗装を通じて、街づくりを行った。その結果、街並みは魅力的な景観となり、多くの観光客を集めている。牧之通りは平成23年度に国交省の「都市景観大賞(都市空間部門)」を受賞している。

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牧之通り

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石畳みの左には整備された雁木

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牧之通りのおもちゃ屋さん

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過去の積雪量を示すポール(一番上は、昭和58年の3.7mの積雪があった)

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牧之通りから日本200名山の巻機山(まきはたやま)(1,967m)を望む

 

雪室見学

1月22日に新潟県南魚沼市長森にある八海酒造株式会社の雪室貯蔵庫見学ツアーに参加した。新大阪駅から新幹線で東京駅に出て、東京駅で上越新幹線に乗り換え、浦佐駅で下車。

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車窓から富士山

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トンネルを抜けると湯沢の雪景色

浦佐駅から八海酒造株式会社の出迎えのマイクロバスに乗り換え、約10分で「越後三山の一つの八海山(日本200名山に選ばれている)の麓、南魚沼市長森に位置する「魚沼の里」に。

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正面が八海山。左側には八海山スキー場

ここは、もともと市が運動公園を整備する予定地であったが、計画がとん挫し、八海酒造が市の依頼を受けて、魚沼の暮らしや文化を通じて“郷愁とやすらぎ”を感じる場所「魚沼の里」として整備したもの。広大な敷地に「酒蔵」の他「八海山雪中貯蔵庫」、「そば屋長森」、菓子処「さとや」、「つつみや八蔵」などの洒落た施設が点在している。
最初に「雪中貯蔵庫」を元甲子園球児の社員の案内で見学。

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雪室のエントランス

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雪室の看板

新設された断熱性の高い建物の中に1,000トンもの雪を蓄え、年間を通じて庫内を4℃前後の低温、多湿な状態に維持する雪室で、庫内の空気は循環され、庫内全体を低温に維持する構造となっている。八海酒造はこの雪中貯蔵庫に日本酒を3年間低温熟成して、まろやかな日本酒に仕上げている。雪室で貯蔵した日本酒は「八海山 雪室貯蔵三年」として真っ白い4合瓶で雪中貯蔵庫のショップで販売されていた。この雪室の空いたスペースを使って、八海酒造の製造する米焼酎が樽に入れられ熟成貯蔵されている他、野菜などの貯蔵が行われている。雪は3月に全て入れ替えるそうで、見学時は入れ替え前ということもあり、雪の表面に汚れが浮き出ていた。

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雪室に10カ月貯蔵された雪。汚れが目立つ

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左側に日本酒の貯蔵タンクが見える

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雪室に貯蔵され熟成されている焼酎

雪を使った貯蔵方式としては、食品を直接雪の中に埋めて冷やす「かまくら型」と、保管庫内に雪を貯蔵することで庫内を冷蔵する「氷室型」があるが、八海山の雪室は氷室型。この雪室が近年、クリーンエネルギーである雪を使った環境にやさしいシステムとして再び注目を集めている。低温、多湿な雪室で野菜を貯蔵すると野菜の澱粉が糖に変換されて甘みが増し、肉を貯蔵するとタンパク質がアミノ酸に分解されて旨みが増す。日本酒や焼酎などのアルコール類を雪室で長期熟成させると味わいが増すことが知られている。

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雪を使った貯蔵方式を説明する看板

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雪室の見学を終えると八海酒造の製造する日本酒、焼酎、甘酒の試飲ができる
その後、「魚沼の里」に2004年に建設された「第二浩和蔵」を製造部長・杜氏の案内で見学した。最新鋭の機器を導入し、優れた環境条件で若い社員の手で手際よく日本酒造りが行われていた。

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酒蔵の入口

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精米度合いを示す(一番上が精米歩合25%)

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麹室(白いカバーの下で麹菌が増殖している)

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脱水機で酒を絞る

「八海山」は日本酒作りに重要な仕込み水、酒米、熟成に適した環境条件に加えて、伝統の優れた酒造りで、淡麗の食中酒として人気を集めている。特に、「大吟醸酒製造技術を全酒類への応用にすること」に取り組む姿勢は高い評価を受けている。「いい酒をプレミアムの付かない適正な価格で簡単に手に入れるようにしたい」との方針で営業展開している「八海山」を試されては如何でしょうか。

JPタワー「KITTE」

義理の叔母の卒寿のお祝いの会に出席した翌日の10月26日に、JR東京駅丸の内南口前の「JPタワー」内にある複合商業施設「KITTE」を訪れた。
「JPタワー」は旧東京中央郵便局の局舎のファサードを保存し、背面を高層建築として再開発されたもので、2012年5月31日に竣工し、同年7月17日より東京中央郵便局とゆうちょ銀行本店が移転・開業された。保存されたファサード部分では、日本郵政、郵政銀行が営業を行っている。

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保存された旧東京中央郵便局のファサード

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KITTEの一階で営業中の郵便局

2013年3月21日に地下1階から6階までの7フロアからなる商業施設「KITTE」がオープンした。日本各地の銘品を扱う食物販店舗や日本ならではの美意識を感じさせる物販店舗、地域で愛される老舗の味、地元で話題の飲食店舗などが入居している。ガラス天井のアトリウムが最大の特徴となっている。

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KITTEの一階アトリウムではGaraxy Studioが再オープンし、VR体感ブースに人気が集まる

7階には広大な屋上庭園が整備され、東京駅舎や見渡せる他、東京駅を起点とする新幹線の発着を望むことができる。

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整備が進む東京駅丸の内口

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KITTEから東京駅(手前)とホームを見渡す

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東京駅のホームに停車中の新幹線

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KITTEの屋上庭園(背景のビルは丸ビル)

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KITTE屋上庭園

「JPタワー」の7階―38階まではオフィス棟。「KITTE」は郵便切手に由来しているが、“来て”という意味も込められているとのこと。「KITTE」はJR駅前の一等地にある郵便局の再開発のお手本となっていて、「KITTE」名古屋、「KITTE」博多が21016年にオープンし人気となっている。

瀋陽市内の朝市

2016年9月24日・25日に恒例の内モンゴル自治区カンジカでの植林活動に参加した後、東北大学での研究指導のため瀋陽市内に3泊した。今回、定宿としている東北大学国際学術交流中心(ホテル)が大きな大学の同窓会の開催と重なり予約できなかったことから、初めて瀋陽・青年街通り沿いの「ホリデイイン・エクスプレス」を利用した。このホテル、中国のホテルとしては少し狭い、ビジネスであったが、多くの宿泊客で賑わっていた。同行した鹿児島大学名誉教授の野崎勉先生から、ホテルの前に朝市が出ているので、一緒に見に行きませんかと誘われて、朝食後(8時頃)に朝市見学に出かけた。朝市は早朝から開かれ8時半頃には終了するとのことで、一部の店は店じまいの準備を始めていた。

通常は青年街通りに繋がる一方通行の道路を、車の通行をストップして朝市の店が3列で長さ200m続く。近所の人ばかりでなく、自転車やバイクで遠くから朝市に買い物に来ている。

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高層ビルの谷間の道路を一時通行止めにして開かれる朝市

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自転車で野菜を買い物に来た市民
瀋陽クラスの大都市では、大型ショッピングモールや、スーパーが沢山あり、若者はこちらで買い物をする。しかし、新鮮で値段が安い朝市は一般市民に人気が高く、多くの買い物客で賑わっている。
当日私が撮った写真で朝市の賑わいを感じ取ってほしい。

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トラックに野菜を積んで来て、車の荷台の前で販売

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新鮮な野菜と葡萄を販売

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淡水魚の販売

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新鮮な海老を生きた状態で販売

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肉の販売(現場で切り分けている)

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豊富な果物を販売する

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手前は蚕のさなぎ

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原料、アルコール濃度の異なる老酒。60度の老酒も

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衣服を売る店もある

熊本城の近況

4月の熊本地震以降、初めて熊本に出かけた。
断層のずれが引き起こした、直下型の大地震。熊本市内でも、4月14日夜の震度5弱の前震に続いて4月16日の未明の震度6弱の大きな揺れで、日本三大名城の一つで熊本のシンボル、熊本市民の心のよりどころである熊本城が目を覆いたくなる大きな被害を受けた。
9月14日朝、雨であったが、熊本城の様子を見に出かけた。市民会館の道路向かいに立つ加藤清正像を見、坪井川沿いの遊歩道に出る。いきなり櫨方門・馬具櫓の石垣の崩落が目に入る。 幸い櫓は崩落していない。

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馬具櫓の石垣の崩落状況

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長塀方向から馬具櫓を見渡す

この櫓の右手に日本一長い・長塀が坪井川沿いに見渡せる。長さ243mで国重要文化財である長塀の屋根部分が、今回の地震で城内方向に100mにわたって倒壊した。現在は白いシートで覆われている。

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倒壊した長塀をシートで覆っている状況

天守閣の方向に進むが、入口のはるか手前で通行禁止のバリケード。残念ながらテレビで何度も放映された倒壊寸前の飯田丸五階櫓の様子を近くで見ることはできなかった。飯田丸五階櫓は小さなお城では天守閣にも相当する大規模な櫓。その櫓の土台となる石垣が崩落し、石垣の角「算木積み」の部分だけで櫓を支えている状況。大きな余震があれば、櫓が崩壊する危険性の高いことから、どのような対策をとるか注目していた。アーム上の鉄骨で櫓を抱えこむことで、櫓の倒壊を防ぐ工法が採用された。緑色の仮受構台をクスノキの合間から覗き見ることができた。

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仮受構台で倒壊を防いでいる飯田丸五階櫓

熊本城の修復には現在のところ20年の年月と634億円の費用が掛かるとのこと。これから、熊本城復元整備一口城主を募るとのこと。一日も早い、熊本城の復興を願って止まない。