フンデルトバッサー設計の焼却施設

友人のドイツ・Saarland University教授(オーストリア人)が、神戸大学が主催した国際会議に招聘され来日した。彼は、大の日本通。今回は、どこを訪ねたいかと尋ねたところ、以前リムジンバスを使って関西空港から阪神高速で神戸に移動した際に見つけたフンデルトバッサーの建物を見学したいとのこと。フンデルトバッサーの設計した建物は独特で、彼は、母国が同じこともあり、一目で設計者が分り、大阪市の焼却施設であることを知らないままの見学希望。
私は、大阪市舞洲に建設された、この焼却施設はこれまで2回見学しているが、今回彼を案内して3回目の見学となった。(2017年2月6日)
まず、大阪市の「舞洲スラッジセンター」を見学した。 DSC_0219

舞洲スラッジセンター正面の壁

大阪市内にある12か所の下水処理場のうち、臨海部の8箇所の下水処理場で嫌気性消化処理された汚泥が汚泥圧送管で舞洲スラッジセンターに送られ集中処理されている。集められた水分98%の消化汚泥は水分80%にまで脱水処理された後、乾燥機で乾燥される。乾燥に要する熱エネルギーは後段の溶融炉の排ガスの熱交換で得られる400℃の水蒸気が使われている。乾燥汚泥は粉砕機で微粉状の汚泥にした後、1,400℃の溶融炉に吹き込まれ、瞬時に燃焼・溶融される。生成するドロドロに溶けた融液を水で急激に冷やすことで水砕スラグができる。この焼却・溶融処理で、投入汚泥は約1/15の体積の溶融スラグに変換される。生成した溶融スラグは、現在下水管の埋め戻し剤として有効利用されている。

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舞洲スラッジセンターの青色の煙突(タイルはドイツからの輸入したもの)

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水砕スラグ

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水砕スラグをスラグストッカーに運ぶ全自動運搬車
次いで、スラッジセンターに隣接する、大阪市・八尾市・松原市環境施設組合のごみ焼却施設・舞洲工場を見学した。2001年に竣工したこのごみ焼却施設は、450t/dの焼却能力のストーカー式焼却炉2基を有する大阪市内でも最大級の焼却施設である。
2008年のオリンピック誘致を目指していた大阪市が、オリンピック会場としての使用を考えていた舞洲を、自然環境と共生するオリンピック会場に整備することを念頭に、オーストリア・ウィーン郊外の「シュピッテラウ焼却場」の改装を手がけた自然保護建築家のフンデルトバッサーに舞洲工場のデザインを依頼した。

フンデルトバッサーはウイーン生まれの画家で、自然保護を訴えた建築デザインで著名。彼の独特のコンセプト(自然界には直線や全く同じものがないとの主張から、デザインには曲線を多く使い、同じものがないデザインとなっている他、建物緑化を積極的に取り入れている)で設計されている。彼の作品の中で、焼却施設はこの舞洲工場と「シュピッテラウ焼却場」しかないとのことで、姉妹焼却場として国際交流が続いているとのこと。

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舞洲工場のデザイン図(パンフレットから)

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舞洲工場の模型

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舞洲工場の正面の壁

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屋上庭園から煙突を望む

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高さ120mの煙突

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舞洲工場玄関からスラッジセンターの煙突を望む
フンデルトバッサーは日本人女性とも結婚したこともあり、名前のドイツ語を和訳した「百水」を雅号に持っている。彼は、舞洲工場の完成する1年前の2000年に71歳で死去していて、舞洲工場は彼の遺作とも言える。

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プルマウ温泉村(オーストリア)
今回時間の関係で、舞洲工場の緑化の状況をつぶさに見学できなかったが、工場3階の屋上は緑化公園として、建物の南側はビオトープとしてそれぞれ整備され、市民に公開されているとのことなので、季節のいい時に見学されては如何でしょうか?

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