鳥取砂丘

三朝温泉から大阪への帰り道に鳥取砂丘に立ち寄った。
三朝温泉から、倉吉経由で国道9号線を鳥取砂丘に向かう途中に、古事記に記載されている「因幡の白兎」(白兎神)を祀る白兎神社にお参り。この神社は、皮膚病や傷の平癒にご利益があることから日本医療発祥の地とも言われている。大国主の命と八神姫の縁を取り持った縁結びの神様として有名。

白兎神社鳥居横の可愛いピンクの郵便ポスト

御手水

本殿

本殿横にはおみくじでがハート型に結び付けられている

白兎海岸を望む参道

参道の両側にウサギの石像の乗った石灯篭が並ぶ。兎や石灯篭の上には白い石が置かれている。この石はご縁を結ぶ願掛けの石「むすび石」と呼ばれ、社務所で購入する。この「むすび石」には五縁(良縁、子宝、繁盛、飛躍、健康)の五つの石が入っていて、縁を祈って、鳥居の上、兎や石灯篭の上に乗せられている。

鳥居の上には沢山の「むすび石」が乗っている

様々な形の兎の上と石灯篭の上にも「むすび石」

白兎神社を出て国道9号線を北上すると15分ほどで、鳥取砂丘に到着。砂丘会館横の階段を登ると、砂丘が現れる。

15分歩いて馬の背に登る。多くの中国人観光客で賑わっていた。幸いにも天候に恵まれ、紺碧の日本海と白い砂丘のコントラストを楽しむことができた。

観光客が向かっているのが鳥取砂丘のシンボル馬の背

馬の背から日本海を望む

美しい海岸線

神秘的な砂の芸術・風紋

馬の背を下り砂丘入口に帰る

ラクダに乗っての砂丘観光も人気

6月20日から中国・内モンゴルの砂漠の植林に出かけるが、この鳥取砂丘の景色は、内モンゴルのホルチン砂漠と良く似ている。

三朝温泉

6月4日に鳥取県三朝温泉に出かけた。
中国道の院庄ICを降りて、国道179号を北上。人形峠をトンネルで抜け天神川沿いを更に北上して、白壁土蔵のまち倉吉に到着。打吹山の麓に位置する市役所裏の第一観光駐車場に車を停め、白壁土蔵を中心とする伝統的建造物群のまち歩きに。観光案内所で観光パンフレットを入手して掲載されていた白壁倶楽部で昼食。

かべ

街角の白壁倶楽部

この白壁倶楽部は明治41年に建てられた擬洋風の建物で旧国立第三銀行倉吉支店として使われていたもの。現在は洒落た洋食レストラン・カフェになっていて、ウエディング会場としても使われている。高い天井とアンティークな室内で、美味しいランチを楽しんだ。

昼食後、まち歩きに。倉吉の街は、室町時代に打吹城の城下町として形成され、江戸時代には交通網の結節点として栄えた。本町通りには醤油醸造や酒屋などの商家の主屋が並ぶ。

本町通り

玉川沿いの商家の裏側が白壁土蔵群。それぞれの土蔵の戸口には緩やかに反った一枚岩の石橋がかけられているのが特徴。

玉川沿いの白壁土蔵

玉川には鯉が泳いでいる
定休日が火曜日ということもあってか、観光客はまばら。その分いい写真が撮れた。

玉川通りの横綱琴桜記念館(琴桜は倉吉出身)

三朝温泉に入る前に、2015年に三朝温泉とともに第一号として日本遺産に認定されている、「神と仏の宿る山」と称される標高900mの三徳山(みとくさん)に鎮座する国宝「投入堂」を遠望した。役行者が法力でお堂を断崖絶壁に投げ入れて建立したと伝説から「投入堂」と呼ばれている。「投入堂」には、麓の三仏寺から急峻な山道を登らなければならない。入山の受付時間は午前8時から午後3時まで。靴のチェックもあるとのこと。日本一危ない国宝鑑賞と言われるゆえんである。多くの観光客は、麓から「投入堂」を遠望できる場所から見る。駐車場に車を停め、数分歩くと、「投入堂」を眺望できる場所に到着。このような断崖にどのようにしてこの「投入堂」を作ったか未だもって謎となっている。

投入堂遥拝所を示す道標

三徳川を渡り少し上ったところに「投入堂」を望むスポット、箱の中の双眼鏡を使うと「投入堂」が確認できる

 

写真中央に「投入堂」が(写真をクリックして拡大してみてください)

「投入堂」を遠望した後、三朝温泉に。三朝温泉はラドンの含有量が日本一であることで有名。温泉につかり、3日目の朝を迎えると病が消えることが「三朝」の由来と言われているほど、効能の高い温泉である。三朝温泉の源泉の温度は60℃以上と高く、湧き出る温泉の量も豊富なことから、三朝川の河原には入浴料無料の露天風呂がある。温泉宿が20数軒の小さな温泉町であるが、昔ながらの湯治場の雰囲気が漂う温泉町であった。

三朝温泉のレトロな町並み

三徳川(三朝川)の足湯(手前)と浴場(目隠しの後ろ側)

和紙灯り。中央に白オオカミのオブジェ。白オオカミが助けられたお礼に温泉の場所を教えたと語り継がれている。

熊本駅の在来線駅舎が完成

熊本駅の在来線新駅舎が3月16日に完成することを知り、3月22日の熊本出張は、新大阪駅から九州新幹線「さくら」を利用して熊本入りした。
これまで新幹線を利用した場合、在来線の白川口に出るには、地下の連絡通路を利用しなければならなかったが、今回、在来線が高架化されたことに伴い、新幹線口と白川口が地上でつながり立派なコンコースができた。

新幹線口から白川口に通じる駅コンコース

コンコースの西側には、熊本駅高架下商業施設「肥後よかモン市場」が1年前にオープンしている。この商業施設の中央入口には、「総合観光案内所」が設置され、土産物店、飲食店、コンビニ、喫茶店など60店舗が入っている。

「肥後よかモン市場」の中央入口(入口左手に「総合案内所のカウンター)

「肥後よかモン市場」の西側の入口では、くまモンがお出迎え

新幹線口には巨大なくまモンが新駅舎の完成を祝う

「肥後よかモン市場」内にもくまモンが

今回新築された在来線駅舎は安藤忠雄氏の設計で、熊本駅の顔となる白川口(東口)は、熊本城の石垣「武者返し」をイメージした、斬新なデザインの幅240メートル、高さ最大12メートルのグレーの巨大な外壁が特徴。

新築された在来線駅舎

旧駅舎がなくなったことから広大な駅前広場が出現した。駅に出入りする車両の乗降場は、南側にバスとタクシー、北側に一般車が分けて整備される計画。

広大な駅前広場

白川口前の市電乗り場

駅北側に整備中の一般車両の駐車場と降車場(向かいの高い建物はホテルニューオータニ熊本)

駅前広場からくまもと森都市広場をつなぐ連絡橋(後方の建物は35階建ての高層マンション・熊本タワー)

熊本駅の案内版

白川口前は、JR九州が二つのビルを新設する計画になっている。駅前広場の南側に「熊本駅ビル」(地下1階、地上12階建て、床面積は約37,000平方メートル)が建てられ、商業施設に加え、約200室のホテル、映画館、結婚式場が入り、21年春の開業の予定。
一方、駅前広場北側には「熊本駅北ビル」(地上12階建て)は、4~12階にオフィス、1~3階に商業施設が入り、20年冬の完成の予定。

これらの計画が完了した後の熊本駅を楽しみに待ちたい。

 

 

早春の南紀に

画像

3月20日に紀伊田辺、南部に出張した。
7時59分発の「くろしお1号」を利用して、紀伊田辺駅まで早春の列車旅。車窓からスマホで撮った写真をいくつか紹介する。
8時48分に和歌山駅着。座席指定席はほぼ満席だったが、多くの乗客が和歌山駅で下車し、和歌山以降はゆったり車内となる。和歌山駅を出てほどなく、紀三井寺を通過。車内放送で車掌から紀三井寺の紹介がある。車窓から、手前のコンビナートの背景に和歌山マリーナシテイが見える。海南市に8時57分着。

対岸に和歌山マリーナシテイ

コスモ石油下津工場を通り過ぎ、御坊駅に930分到着。

コスモ石油下津工場

御坊駅を過ぎると列車は山間を走り、海岸線は望めない。山の峰には、広川・日高川ウィンドファームの風車が並ぶ。

広川・日高川ウィンドファーム

切目駅から南部までは海岸線に沿って列車が進む。車内放送の案内とともに、列車は速度を落とすサービスのお陰で、素晴らしい海岸線を楽しむことができた。

素晴らしい車窓からの眺め

紀伊田辺駅に956分に到着。紀伊田辺市は世界文化遺産に登録された日本三大古道の一つである熊野古道の入口。駅舎は工事中で、駅舎の隣には新築された観光センターが並ぶ。駅前ロータリーの整備も進み、観光客を呼び込む努力が感じられた。

今回の出張の目的は、梅干しの製造・販売を手がける(株)ウメタの排水処理施設の見学。和歌山県工業技術センターが開発した汚泥減容化技術(ESCAPE)を採用した処理施設である。和歌山県特産のパイル織物を使った担体を曝気槽に設置し、イトミミズが生息する環境を整えることで、余剰汚泥の発生量を大幅に抑えることが可能となる技術である。見学時の曝気槽のMLSS濃度は12,000mg/Lと高く、担体に内部にはイトミミズが高い密度で生育していた。

パイル担体に付着した生物膜(背景は高い汚泥濃度の曝気槽)

施設見学の後、国民宿舎「紀州路みなべ」に。この国民宿舎は眺望が売り。レストランからは写真のパノラマが窓一杯に広がる。先端の岬の奥が白浜である。

写真中央の岬の先が白浜

絶景と美味しい南紀の地魚で昼食を楽しんだ。

瀋陽に寒波襲来

12月3日~7日、中国・遼寧省瀋陽に出かけた。今回の訪問の目的は、東北大学機械自動化学院での講義と研究指導である。
3日午後に瀋陽に到着した時、出迎えてくれた友人の東北大学の朱教授の話では、瀋陽は例年になく穏やかな冬であるとのこと。それでも、日が落ちると冷え込み、暖かい大阪に住む者としては思わず身震いする。
この時期、例年だと中国のPM2.5による大気汚染が報道を賑わすが、政府による規制の効果が出ているのか、滞在中これまでのようにスモッグに覆われることはなく、日本と変わらない青空が広がっていた。

ホテルの部屋から東北大学のキャンパスを望む(瀋陽では珍しい透き通った青空)

5日の午後6時半から2時間、東北大学機械自動化学院の大講義室で、朱先生の授業を受講している学部学生、大学院学生50人を対象に講義した。東北大学では講義室が不足していて、昼間に学部の講義を優先することから、大学院の講義の多くは夕方から始まる。

最初に、熊本県、熊本大学の紹介の簡単な紹介をした後、「アナモックスプロセスの適用動向」について話した。中国では、アナモックスに関する研究が非常に盛んで、アナモックスに関する学術論文の半分以上が中国の研究者によって執筆されている。嫌気性消化の脱離液を処理対象にした大連市での実プラント、埋立地浸出水を処理対象とした湖北省十堰での実プラントが稼働中で、今後一気にアナモックスの実用化が進むものと思われる。

4日は放射冷却で冷え込み、5日の夜には今冬初めての降雪があった。6日の最低温度はマイナス14℃に。朝のCCTVのニュースでは、黒竜江省の北部では最低気温がマイナス41℃を記録したことが報道されていた。

雪景色の東北大学キャンパス

雪道を車間距離をとってゆっくり進む車

7日朝の瀋陽空港の様子。日陰はアイスバーンに

穏やかな冬が一変して急激な寒波、寒さに慣れてる瀋陽の人々に本格的な冬が到来した。

景福宮見学と仁寺洞通りの散策

11月17日のソウルでの結婚式に出席した後、教え子の陳さんの案内で朝鮮王朝の宮殿「景福宮」の見学と、近くの「仁寺洞通り」の散策に行った。

披露宴会場から「景福宮」まで、交通渋滞のあり車で1時間以上もかかった。車を「景福宮」の地下の駐車場入れ、「景福宮」に。この時期入場の締め切り時間が16時で、ぎりぎり入れた。

「景福宮」は1395年に建国された朝鮮王朝の宮殿。ソウルのシンボル北岳山の前に宮殿の場所が決められた。宮殿北側には韓国大統領府「青瓦台」、正門の「光化門」は、韓国の政治と経済の中心となっている「世宗大路」に面する。

「景福宮」は文禄の役(1592年)で焼失したが、1867年に建て直された。しかし、朝鮮物産共進会(日本の朝鮮統治の成果を示し、朝鮮の更なる産業の発展を図るために開催された博覧会)開催の名目で宮殿の多くの建物が取り壊されてしまった。1990年から復元事業が始まり、本来の「景福宮」の姿を取り戻しつつある状況である。

境内は多くの観光客で賑わっていた。多くの観光客が、レンタルした韓国伝統の韓服を身に着け、朝鮮王朝時代へのタイムスリップを楽しんでいる。(韓服を着用した観光客は入場は無料)以下、駆け足で見学した「景福宮」の主要な建物を紹介する。

1.光化門
景福宮の正門。朝鮮戦争の時に焼失したが、1968年2月、復元された。

中央の門が光化門

勤政門をくぐると勤政殿

2)勤政殿
景福宮の正殿で、最も華やかで王の権威を示す建物。ここでは、王の即位の礼、文官、武官が集まる朝会、外国からの使臣との接見公式など、国家儀式が行われた。宮殿内は1階と2階が吹き抜け構造で、天井まで見渡せ、天井には様々な文様が鮮やかに描かれている。

勤政殿に繋がる石畳。

勤政殿の内部

勤政殿の天井の鮮やかな文様

3)思政楼
王の執務室。ここで日常の政治活動が行われた。現在の思政楼は1867年に再建されたもの。

思政門をくぐると思政楼に

4)康寧殿
王が日常生活を送った宮殿。現在の宮殿は1995年に復元されたもの。


5)交泰殿
王妃の宮殿で、1995年に復元された。

6)慶会楼

池に囲まれた慶会楼

勤政殿まえの石畳の広場

韓服を着用した外国人観光客

夕方5時が閉門ということで、ここで宮殿の見学は終了。
光化門を出て左折し、仁寺洞(キョンボックン)通りの散策に。

景福宮境内から光化門をくぐって外に

光化門をバックに「世宗大路」を望む

景福宮の東の端にある「東十字閣」(右)とその後ろには奇抜なデザインのTwin Tree Tower

仁寺洞(キョンボックン)通りの賑わい。通りには、伝統工芸品、絵画道具の店、ギャラリー、骨董店、喫茶店が、一歩路地に入ると、昔ながらの韓家を改造した飲み屋、レストランが並んでいる。

仁寺洞通りから辻を入ると昔ながらの街並みが

仁寺洞通りの喫茶店(3階)からの眺め

仁寺洞通り入口に点灯された、韓国式提灯

この仁寺洞通り、整備が進み、とみに観光客が集まるスポットとなっている。特に若い人に人気がある。

韓国の結婚式

11月17日、ソウル市での、韓国人の親友の息子さんの結婚式に出席した。これまで、中国、ベトナムでの教え子の結婚式の経験はあるが、韓国の結婚式に出席するのは初めて。韓国の教え子から服装、お祝い金のこと、前もって情報を得て出席した。

新郎、新婦のお父さんが中小企業の社長さんということもあり、出席者500人の盛大な結婚披露宴。受付は日本と同じで、記名してお祝い金を渡す。その後、開演までの時間は、式場横の庭園でドリンクサービスを受けて過ごす。

宴会場の入口横には新郎、新婦(後ほど、新郎も加わる)の両親がお出迎え。

420人収容の巨大なホール。右側は長いバージンロード(このホールに全ての出席者の席が設けられないので、100人収容の別室が設けられた。式の様子はスクリーンに映し出される)

式次第は日本とは少し違うので、紹介する。
①新郎、新婦のお母さんが揃って入場、②続いて新郎入場、③新婦がお父さんと入場、④新郎に新婦を引き渡す、

バージンロードを新婦と新婦のお父さんが歩き、新郎に新婦を引き渡す様子

⑤新郎、新婦が両親に挨拶、⑥仲人役の新郎の恩師の大学教授による新郎新婦に対するスピーチ、

舞台の前面のスクリーンに映し出された仲人役の大学教授によるスピーチの様子

⑦記念撮影、⑧新郎の友人による歌によるお祝い、⑨お色直し、⑩スライドショー、⑪ウエディングケーキ入刀、⑫新郎新婦、ご両親が各テーブルにお礼の挨拶回り、⑬三々五々に退席、⑭祝宴終了後、身近の親族のみが民族服に着替えて懇親、その後記念撮影

宴席の様子(新郎サイド)
特に式の終わり方が日本とは違い、新郎新婦の両親への感謝の言葉、花束の贈呈がないうえ、新郎、新婦、ご両親の見送りもなし。これは、中国、ベトナムも同じで、日本のやり方が独特なのでしょう。
式は12時30分に始まり、約2時間で終了。式場、テーブル席を飾っていた生け花は、祝宴終了後、係員が一斉に抜き去り、宴会場を出たホールでスタッフ5,6名で多くの希望者に花束として渡して華やかでした。

万博公園・日本庭園の紅葉

暖かい秋の一日、万博・日本庭園を訪れた。この日本庭園は、昭和45年(1970年)に万博開催時に造園された、広さ約26万m2の「昭和の名庭園」。東西に細長く、庭園の西端の源泉から東に流れる水の「流れ」をテーマとして設計されている。

10時前に日本庭園前の広大な駐車場に到着。月曜日で、観光客はまばら。日本庭園前ゲートを右折し、小高い丘を登ると、「平和のバラ園」に。

バラ園の向こうに太陽の塔とEXPOCITYの大観覧車が望める

色とりどりの満開のバラが一面に広がるバラ園を下ると、日本庭園の正門に。

日本庭園の正門

園内は開園間もないこともあり、広大な公園にひと気はなく、手入れされた美しい庭園は静寂そのもの。正門前には、地元山田の同好会が出展した菊が展示されていた。

日本庭園を説明する看板(東西に長い、この庭園を左周りで散策)

正門を左折し、よく整備された木立、竹林を通り抜けて「深山の泉」に。

手入れの行き届いた散策道路

整備された竹林

深山の泉

木漏れ日の滝(ここから湧き出る水が庭園を巡っている)
「深山の泉」を右折し、西から東に向かって流れるせせらぎに沿って散策。花が少ないこの時期、赤色、白色のサザンカがひと際目を引く。モミジの紅葉はまだ少し早いが、場所によっては見ごろのモミジも。


サザンカの花
今年は台風21号の影響で葉が落ちたこともあり、どこも紅葉はそれほどでもないのが残念である。程なく、枯山水に。松の洲浜を横切る。


北側の道を行くと、左側に大きな芝生の築山、右側に大きな池(心字池)が見える。こちらから、日本庭園の中央休憩所越しに、太陽の塔とEXPOCITYの大観覧車が望める。心字池を一周して今回の日本庭園散策は終了。中央休憩所前からの眺めは最高。

中央休憩所前からは、心字池越しに芝生の築山を望む

松の洲浜から心字池への流れ込む地点の紅葉

中央休憩所には、70年万博の様子を紹介するビデオルームがあり、懐かしい開会式映像(昭和天皇、皇后、皇太子、美智子さま等)を楽しむことができた。

日本庭園正門の屋根越しに見える太陽の塔と大観覧車

 

青島市での日中韓学生ワークショップ

7月30日―8月1日、中国・山東省の青島市で開催された第11回の日中韓学生ワークショップに出席した。この学生ワークショップ、2008年に韓国・釜山国立大学・金研究室の大学院の学生が熊本大学・古川研究室の見学を機に始まったもので、英語での研究発表の経験を積ませること、人脈構築を目的としたものである。
その後、中国・大連理工大学が加わり、日中韓の三大学の学生ワークショップとして毎年夏休みを利用して開催されてきた。私の定年退官後は、大阪大学の池教授に日本側の幹事を依頼し、大阪大学、釜山国立大学、大連理工大学の三大学で交互にワークショップを開催してきた。日本側からは、大阪大学に加えて、山梨大学、北里大学もメンバーとして加わっている。今年度はこの日中韓学生ワークショップに参加する大学を増やすことを目的に、熊本大学と学術交流協定大学である、山東大学の倪寿清(Ni)副教授に開催を依頼した。副教授と大連理工大学の喬森教授の尽力もあり、今回は80人の参加者で、山東大学の近くの青島中信証券培訓中心で開催された。

青島中信証券培訓中心の宿舎からの眺め。右の建物がワークショップが行われた研修センター

ワークショップの立て看板

青島市を訪れるのは今回で3回目である。青島市は人口900万人の副省級の大都市で、日本人には青島ビールの生産地として知られているが、現在は中国の海洋産業の中心であると同時に、東部沿岸の重要な経済中心で、多くの製造業やハイテク産業基地が立地し、非常に活気溢れる大都市である。
今回のワークショップでは、7月30日に26題の口頭発表があり、活発な質疑応答がなされた。

OHPの写真は青島キャンパスに新しく建設された山東大学環境学院の建物

二人のChairmen(左:大連理工大学・喬教授、右:山東大学・倪副教授

ワークショップの後、先生方の投票で選ばれた優秀発表者5人に、倪副教授から優秀発表賞が贈られた。懇親会では、参加者をシャッフルした円卓で、美味しい料理と青島ビール、煙台ワインで盛り上がり、交流が深まった。

懇親会の様子(左から、大連理工大学喬教授、全教授、山東大学李教授)

7月31日は、エクスカーション。山東大学のバスで市内の青島ビール博物館の見学に。市内に入ると交通渋滞が激しい。地下鉄網の早期完成が待たれている。

青島ビール博物館前のビール通りでは多くの飲食店が並ぶ

青島ビール博物館では、15人が英語のワイアレスガイドを受けた。この博物館は1903年に建造された青島ビールの創業地工場に設立されたもので、多くの観光客で賑わっている。

青島ビールの市街地の工場(輸出用のビールの生産がメイン)

ビール製造に大切なものを示すパネル。(大麦、ホップ、酵母、水が大切)

ビール工場見学ルートの最後の試飲コーナーの賑わい

製造ラインの見学の後、ろ過前のビールとピーナッツで青島ビールを楽しむ。その後、瓶詰ラインを見学の後、出口前でろ過後のビールを飲み、お土産物を購入。
この後、人気のレストランで昼食。

昼食の料理(中央はイカ墨を練りこんだ餃子、テーブルの中央にはトウモロコシの粉で作った餃子)

昼食後、ドイツ人街で人気の観光スポット「八大関」を見学。八大関は、1930年代に外国官僚(特にドイツ人)や富裕層の別荘地として開発されたもので、現在でも当時の洋館が多く残っている。2010年 第1回「中国歴史文化名街」の1つに選定された。広い道路に大きく成長した街路樹、広い庭付の洋館た立ち並ぶ、人気のスポット。結婚式の前撮りが至る所で行われている。

木々に囲まれた洋館

高い木立に囲まれた道路

「八大関」を海に向かって下ると、青島第二海水浴場に。細かい砂のビーチで多くの海水浴客で賑わっている。

青島第二海水浴場(沖合には大型コンテナ船が行き来する)

中央左の建物はシャワールーム

水質は決していいとは言えない。我々の前に、ショベルカーが走ってきた。ビーチで集めてきたアオサを運んできたもので、待っていたダンプカーが持ち去った。

回収したアオサをダンプカーに移す

青島中心部から、宿舎の青島中信証券培訓中心までは2時間もかかることから、4時過ぎに「八大関」を後にした。

労山区の花崗岩が風化した岩峰

途中に、中国海洋大学、山東大学の正門、海水温泉センターを通り過ぎ宿舎まで。

中国海洋大学の正門

山東大学青島キャンパスの正門

宿舎近くの海洋温泉レジャーセンターの正門

 

内モンゴル自治区での植林(2018年6月)

2018年6月8日(金)に中国・内モンゴル自治区カンジカに植林に出かけた。カンジカでの植林は、鹿児島大学名誉教授の野崎勉先生が主宰して始めた活動で、10年以上の歴史があり、その成果は国内外で高く評価されている。今回これまで行ってきたモンゴル松の植林に加えて、野崎先生が考案した「粘土板による草原回復事業」に初めて取り組んだ。
東北大学の教職員と遼寧省石油化工設計院の技術者2人を含め11人でこれに参加した。
カンジカ郊外の植林現場には、野崎先生の指導のもと、地元の農民が作成した20x80cmの粘土板(牛糞と稲わら、それに粘土を混合し乾燥させたもの)が写真のように2000枚が、すでに半砂漠の上に敷き詰められていた。

半砂漠地帯に敷き詰められた粘土板。手前は昨年秋に植林したモンゴル松

8枚が一組の粘土板

まず、この粘土板のへりに沿って、乾燥に強い市販の草の種を蒔く作業を行い、その後、粘土板に水を与える作業を行った。

中央は植林のサポート役のジリモトさん。左は野崎先生

粘土板の隙間に草の種を蒔く参加者

蒔かれた草の種子(写真をクリックしてください)

粘土板に水を散布する農家の娘さん

この工法は、粘土板が数年で自然の土に戻ること、粘土板によって水分の蒸散を抑えて緑化に好ましい状況を創出することに特徴がある。当日は、粘土板の作成を依頼した地元の農民家族もこの作業に参加した。当初から、この種の植林活動は地元の農民や住民を巻き込まなければ、長続きしない。嬉々として我々と一緒に作業している農民の姿に感動した。

粘土板作業を終えて一緒に記念撮影
この後、粘土板を設置したすぐ隣の昨年末に植林したモンゴル松に水を与える作業をした。昨年のこの植林は、使ったモンゴル松が丈の高い元気な松であったこともあり、ほぼすべての松が活着していた。

昨年の秋に植林したモンゴル松に水を与える
この現場での作業を終えた後、これまで10年間にわたって植林した場所の視察に出かけた。

5年経過するとこのように半砂漠がモンゴル松で緑化できる

小高い丘に植林したモンゴル松は成長が悪い。枯死する割合も高い。

今回一緒した、東北大学のスタッフと。左から2人目が朱教授
写真のように、モンゴル松による植林が成功し、砂漠に緑が戻ってきているのがわかる。モンゴル松の成長には、地下水位が大きく関係し、谷合いに植林したモンゴル松が元気で背丈も大きいのに比べ、少し丘の上のモンゴル松は、活着率が低く、成長も遅い。地下水位の低い場所では、根を深く伸ばすポプラとの組み合わせも必要となる。ポプラの植林地域で、ポプラが成長すると水分を多量に吸い上げてしまい地下水位が大幅に低下して、農業活動に影響が出るとのことで、選定する樹木は簡単ではない。

野崎先生は、定期的にこの粘土板工法の効果を検証しながら、さらに大規模にこの事業を展開していきたいとの夢をお持ちで、我々も少しでも先生のお役に立てればと願っている。

この事業の成果は野崎先生が調達したドローンで検証する計画

内モンゴル自治区、カンジカ近くで見かけたガソリンスタンド。この看板を撮った理由分かりますか?

中国石油のパッチもの??