吉野の桜

4月8日、友人に誘われて吉野の花見に出かけた。これまで大阪に住んでいながら、吉野まで花見のために足を延ばすのは初めて。近鉄阿倍野駅から近鉄吉野線の特急で吉野まで1時間16分。途中、古い歴史を刻む珍しい駅を通過。吉野口駅からは、吉野川の右岸をぐんぐんと高度をあげて電車は進み、吉野川を渡って終点の吉野駅に到着。

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今年の桜は全国的に3月の低温が影響して開花が遅れ、4月8日時点で大阪市内でも6-8分咲き。大阪市内よりも高度の高い吉野の桜は、しだれ桜を除いて下千本でも蕾の状態。(満開は最終的に4月17日にずれ込んだ)それでもあらかじめ日程の決まっているツアー客で吉野駅前は混雑。それでも満開時にはこれ以上の大混雑とのこと。

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吉野駅前(正面にロープウエイを望める)
駅前から日本一古い歴史を持つロープウエイ(全長350m)で吉野山駅まで。吉野山駅から黒門をくぐって観光客で混雑する門前町を歩く。

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黒門前の混雑

道に沿って多くの食堂やお土産屋さんが並ぶ。吉野では柿の葉寿司が有名。名店の「ひょうたろう」では長いお客の列。

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ひょうたろうの前のお客の長い列

細くて急こう配の参道を修験道の総本山金峯山寺まで歩く。

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正面に国宝仁王門

この時期、国宝仁王門平成大修理勧進のために、蔵王堂(国宝)の本尊である秘仏蔵王権現像(重文)3体が開帳されていてこれを見学。

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「金剛蔵王大権現」は、飛鳥時代に役行者が、金峯山の山上ヶ岳で1000日の修行の後に感得した権現仏。権現とは、権(仮り)に現われるという意味で、本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済するため、悪魔を降伏させる怒りの形相の姿で出現されたといわれている。真っ青な体で、赤い髪を逆立て、真っ赤な口から牙のばし、まさに怒りの形相の3体の仏像。右尊の千手観音が6.15m・中尊の釈迦如来が7.28m・左尊の弥勒菩薩が5.92mと大きい仏像に圧倒される。

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秘仏蔵王権現(パンフレットの左下に)

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金峯山寺を望む

金峯山寺をお参りした後、混雑した門前町を登り、左折して吉水神社に。吉水神社は、元は吉水院といって吉野山を統率する修験宗の坊僧であった。明治時代に神仏分離が行われ、吉水院は後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから明治8年に「吉水神社」と改められ、後醍醐天皇を祭神としている。(吉水神社の拝観券から引用)神社の境内に入ってすぐの左手に吉水院庭園。

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吉水院庭園

豊臣秀吉が吉野で大花見をした時に吉水院が花見の本陣となり、この花見に際して秀吉が自ら設計した桃山様式の日本庭園。この庭園から振り返って吉野山に目を移すと、カメラを持った多くの観光客が。ここが吉野山を望むと千本の桜が望める場所(一目千本といわれるゆえん)。

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ほのかにピンク色に染まった吉野山

生憎桜の開花はまだで、山全体が薄いピンク色にそまった状態であった。
この後神社のすぐ横の吉水書院を見学。吉水神社書院は、日本最古の書院で世界文化遺産に登録されている。

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吉水神社書院前の桜

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書院内には、役行者像、義経・静御前潜居の間、後醍醐天皇の御物、秀吉が花見の際に愛用した金屏風などの貴重な文化財が展示されていた。
吉水神社からもとの参道に戻って、東西院に。ここのしだれ桜が見ごろであった。

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東西院の見事な満開のしだれ桜

東西院から観光マップでも急阪と書かれている細い道を上ると竹林院。

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中千本の桜

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桜公園の満開まじかのしだれ桜

そこからさらに、急な道を上って、やっと今回招待をうけたSさんのヒュッテに到着。Sさんはこのヒュッテを自分の山から切り出した木材で建てたもの。ヒュッテのベランダからは、眼下に金峯山寺が望めるだけではなく、吉野の上千本の桜が一望できる。

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眼下に金峯山寺が

残念ながら今回は時期が合わなくて絶景を楽しむことができなかった。次回に期待した。Sさんが腕を振るってくれた猪鍋、柿の葉寿司を肴に大いに盛り上がった。

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猪鍋

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伝統的な柿の葉寿司の容器
帰りは、タクシーで近鉄吉野駅まで。我々のグループ以外お客はいない。最終の特急に乗ることができ、自宅に帰ると午後11時であった。