都城への旅

宮崎県の都城市に出張した。都城は熊本大学に在職中に一度訪れたことあり、今回が2度目の訪問となる。
10月9日、10時50分伊丹発のJAL2433 便で宮崎空港に。不発弾の爆発で注目を集めた宮崎空港。現在は、「宮崎ブーゲンビリア空港」に名称が変わり、今年で愛称決定10周年ということで、空港内ではいろいろな催しが行われていた。空港前のバス停付近には、赤や紫色のブーゲンビリアが咲いていて、南国情緒にあふれていた。

愛称決定10周年のフラッグ

バス停前のブーゲンビリアがお出迎え

宮崎空港のバス停

昼食を空港でとった後、13:05空港発のバスで都城に向かう。バスは市内から東九州自動車道に入り、高城を経由して、都城ICで降りる。この地点からの眺めで、霧島山地と鰐塚山地に囲まれた広大な都城盆地を実感できた。高専前、道の駅都城のバス停の後、約1時間の乗車で都城駅前停留所に到着。

日豊本線の都城駅

駅前のホテルの窓から高千穂峰が望める
都城市は人口16万人の宮崎県第二の都市。駅前のビジネスホテルに宿をとったが、15時のチェックインまで時間があるので、荷物をホテルに預け、駅から徒歩15分の神柱(かんばしら)公園と神柱神社(神柱宮とも呼ばれる)を訪ねた。神柱神宮に隣接する神柱公園は大きな樹木に囲まれた芝生公園で、子供の遊べる遊具、子供広場、親水広場があり、よく整備されている。

年見川に設けられた親水歩道

水生植物(ホテイアオイ)による浄化施設

神柱公園の芝生公園(背後に見えるのは都城市総合文化ホール)
神柱神宮は、島津荘を開いた平季基(すえもと)が1026年に伊勢大神を勧請し創建したとされ、天照皇大神と豊受姫大神を主祭神とし、地域の人に篤く信仰されているとのこと。街のランドマークになっている大きな一の大鳥居は、昭和54年4月に開催された宮崎国体を記念して建立され、高さは25mで、建立当時、鉄筋コンクリート製では日本一の高さだった。

一の鳥居

神柱宮の看板

神柱宮の拝殿

神柱公園に隣接する都城市総合文化ホール

10月10日の13時30分から、農水省のプロジェクトの中間検討会に出席。検討会の後、懇親会が宮崎名物の鳥料理専門の店で開かれた。新鮮な鳥の刺身、鶏肉の炭火焼を肴に宮崎の焼酎を楽しんだ。

鶏の刺身盛り合わせ(この量で5人前!!)

10月11日、現地見学会で霧島高原近くに設置されたパイロットプラントの見学に行った後、霧島連山を一望できる絶好のロケーションにある高千穂牧場のメタン発酵処理施設を見学した。農業環境保全及び有機資源循環施設として国が1/2、件が1/6補助して建設されたこの処理施設では、乳牛100頭の糞尿を処理している。糞尿をメタン発酵し、発生するメタンガスを使って発電するとともに、発生する消化液を貯留し農場に肥料として散布するシステムで、平成16年4月から稼働している。この施設、ドイツの技術が使用されていて、順調に稼働していたが、発電機のトラブルで現在は発電をストップしているとのことであった。

バイオマスプラントを紹介する看板

育成牛舎

バイオマスプラントの全景(左の建物が発酵槽、右手がガスホルダー)

 

メタン発酵消化液(これを牧草地に散布する)

消化液の貯留タンク(手前は散布用のタンク車)

広大な牧草地(ここに消化液を散布する、背後山が高千穂峰(1574m)

牧草収穫作業中のトラクターが見える

バイオマスプラントに設けられた火山活動監視カメラ(背後の山は霧島連山)

堆肥化施設

高千穂牧場は、酪農家が消費者とともに考え、語り合える場所と体験し研修できる接点を持ちたいとの願望から生まれた。この場所は、戦前に陸軍の都城歩兵第23連隊の射撃場で、戦後開拓農家に払い下げされ開墾された。(高千穂牧場、バイオマスプラントのパンフレットから)現在は、無料で一般に公開され、子供たちがこの牧場で動物や土や草花に触れて体験学習できる施設として人気を集めている。平日にもかかわらづ、多くの保育園児や幼いお子さん連れで賑わっていた。

高千穂牧場の案内看板

芝生公園で遊ぶ幼稚園児

幼稚園バス(クジラが車の屋根に)

園内のレストランで脂が乗った宮崎豚の焼き肉の昼食をとった後、車で宮崎空港まで送ってもらい、宮崎発JAL2438便で帰阪した。

旭川への旅

15年前から梅雨のない北海道で6月か7月に友人達とゴルフを楽しむことが恒例となっていたが、コロナ禍以降は中止でした。今年は、再び北海道でのゴルフが企画された。同じような考えを持つ人が多いのと、海外特に韓国からのゴルフツアー客が増えたこともあり、夏場の北海道のゴルフ場はどこもフルブッキング。残念ながら、6月か7月にプレーを予約することができなかった。結局10月2日に恵庭市にあるエルムカントリーでプレーすることになった。今回、札幌ということで、体調を崩している旭川の友人を訪ねることにした。
9月30日(月)、9:10に関空から千歳空港に飛び、JRで札幌駅まで移動。札幌から旭川行の特急「カムイ17号」(13:00発)で旭川に移動した。車内は平日ということもありガラガラの状態。(JR北海道が大幅赤字に苦しんでいる状況が理解できる)夕張山地と増毛山地の間を流れる石狩川によって形成された石狩平野を、石狩川沿いに列車は函館本線を北上して旭川をめざす。
列車は岩見沢、美唄と石狩川に沿って右手に夕張山地を眺めながら北上。

美唄駅のホーム

夕張山地(右側)に見ながら列車は石狩平野を北上する

道路はまっすぐにのびている

カムイ号は、砂川駅、石狩川の支流の空知川を渡り滝川駅に停車。滝川駅の次は深川駅に停車した。駅の名前に“川”がついていて、地域が石狩川と密接に繋がっていることの現れである。札幌から深川駅まで全くトンネルがなかったが、深川駅からは夕張山地を抜ける長いトンネルが続いた。札幌から旭川まで快適な1時25分の列車の旅となった。
JR旭川駅は2011年に建設されたモダンな日本最北の高架駅である。旭川駅は、函館本線、宗谷本線、富良野線の起点となる重要な駅になっている。駅ビルを出ると駅前の広大な広場が広がる。

旭川駅

広大な駅前広場

左手にはイオンモール旭川店。目の前の駅前交差点を渡ると旭川買物公園に、ここは旭川駅から8条通りまでの1㎞の幅20mの通りを、1972年に歩行者天国にしたもので、旭川の商業の中心となっている。2002年に、ロードヒーティング、段差をなくするバリアフリー化、電線の地中化等のリニューアルがなされ現在に至っている。

旭川買物公園

宿は駅から5分のホテルにとった。午後3時半から友人が車で旭川市内を案内してくれた。夕食前に有名なラーメン村で旭川ラーメンを食した。

旭川ラーメン(少しこってり目の鶏ガラ、豚骨のスープで、麺は固めの中太のちぢれ麺)

その後、居酒屋で北海道の郷土料理で1次会、2次会は友人の知り合いの寿司屋で北海道の新鮮な魚を肴に旭川の地酒「男山」を楽しんだ。

10月1日の午前中に、友人に車で昭和通りから石狩川をまたぐ旭橋を渡り、陸上自衛隊旭川駐屯地に隣接する「北鎮記念館」に連れて行ってもらった。北鎮記念館では北海道の開拓の歩みと防衛を物語る資料を展示している。

北鎮記念館(駐車場からの写真)

正面入口を入り、簡単な手続きを済ませた後、順路に沿って館内を見学した。まず屯田兵のコーナー。北海道の開拓と維新で職を失った士族の救済を目的に、屯田兵制度が始まった。屯田兵には北海道の開拓に加えて、有事には北海道を防衛にあたることが求められた。石狩平野には多くの屯田兵が入植したが、札幌近郊には士族の入植が、旭川周辺には平民の入植が多かったとのこと。

屯田兵に支給された作業服と軍服

次いで、旧陸軍第七師団関連の展示コーナーに。明治29年に北海道防衛のために札幌に創設された第七師団が、明治34年に旭川に移転され、「軍都旭川」が生まれた。日露戦争における旧陸軍第七師団関係の資料、大正、昭和における旧陸軍第七師団の活動の歴史と貴重な資料が展示されていた。

第2代北海道長官でもあり、初代第七師団長で屯田兵の育ての親とされる「永山武四郎」の胸像との看板と第七師団の看板

石狩川の取水口から3㎞にわたり土中に埋められ使われた木製の水道管

吉葉山は1942年に応召され、山砲兵第七連隊に入営。入営して2か月は軍服がなく羽織・袴で過ごした。(写真2列の右端が吉葉山)吉葉山は復員後4年間のブランクを乗り越え稽古に励み、1954年1月に第43代横綱に昇進した。

最後に、大東亜戦争における旧陸軍第七師団の戦闘の展示があった。記念館の裏には、旧陸軍第七師団の哨所や指令部門柱が展示されていた。

建物の裏に展示されている第7師団の哨所や指令部門柱

見学後、昼食に旭川で人気の市内高砂台にある蕎麦処「扇松園」に友人に連れていっていただき、江丹別産の蕎麦を使った10割蕎麦をいただいた。そばの味もさることながら、量も十分で満足な昼食となった。

昼食後、旭川駅まで送ってもらい、旭川駅始発の「ライラック号」で札幌駅に向かった。

旭川発札幌行の特急「ライラック号」

第16回AETEEに関する国際ワークショップに参加

今年で16回目となるAdvanced Engineering Technology for Environment and Energy(AETEE)に関する国際ワークショップが、8月26日-28日に韓国・釜山で開催された。今回のワークショップは韓国が当番で、釜山国立大学校のTaeho Lee教授をChairmanとして開催された。日本から大阪大学、北里大学、山梨大学、中国から大連理工大学、山東大学、韓国から釜山国立大学、それにオンラインで今回初めてカナダのMacMaster大学が参加した。
26日に関空で大阪大学(池教授がリーダー)のグループと合流し、Busan Airで釜山空港に到着。釜山空港で成田からの北里大学(清教授がリーダー)、山梨大学(森教授、遠山教授がリーダー)の一行と合流した。釜山国立大学校がチャーターしたバスで、空港から釜山国立大学校とLee教授が所属する土木環境工学教室のラボツアーに向かった。釜山国立大学校は急斜面に立地し、緑に囲まれた歴史あるキャンパス。キャンパス内にはたくさんの百日紅が咲き乱れていた。

坂道のキャンパスを徒歩で移動

釜山大学博物館前で記念撮影

緑豊かな釜山国立大学校のキャンパス(前方左に花をつけた百日紅)

大学の資料館見学した後、土木環境教室の研究室を見学した。次にキャンパス内をバスで案内してもらい、最後に釜山大学博物館を訪ねたが、残念ながら時間外で中を見ることは出来なかった。宿泊は、海雲台近くのShilla stay Haeundae。韓国でも猛暑が続いていて、まだ海水浴客が多かった。

27日がワークショップ。Shilla stay Haeundae3階のBallroomで8:30―11:45、13:30-18:30で5つのセッションで学生の研究発表が行われた。開会式では、Lee教授の開会の挨拶の後、このワークショップの創設者として古川熊本大学名誉教授、金釜山国立大学校名誉教授(オンラインで参加)、大連理工大学の全教授、大阪大学の池教授、初参加のカナダのMacMaster大学のYounggy Kim教授(オンラインで参加)からのショートスピーチがあった。

Lee教授の開会の挨拶

古川のスピーチ

全教授(大連理工大学)のスピーチ

池教授(大阪大学)のスピーチ

フロリダ在住のこのワークショップの共同創設者である金名誉教授のスピーチ

オンラインでのMacMaster大学のYounggy Kim教授のスピーチ

Session 1ではValue-added Material Productionに関し6件の発表、Session 2ではAnammox and Nutrient Removal に関し6件の発表、Session 3ではWastewater treatment and Environmental Engineeringに関し6件の発表、Session 4ではAntibiotic Resistance and Hazardous Material Removalに関し6件の発表、Session 5ではPlant, Microalgae and Microbesに関し6件の発表があった。

ワークショップ終了後、全体写真を撮った。

学生による研究発表

参加者全員での記念写真

その後、優秀発表者を座長と組織委員会のメンバーで決定した。
ワークショップ後のバンケットは、ホテルから海雲台海水浴場沿いの道を15分歩いて、最近建設された100階建てのBusanX the Skyの99階のSky 99で開催された。

前方右のビル・100階建てのBusanX the Skyに海雲台海水浴場沿いの道を徒歩で移動

夕刻の海雲台海水浴場

100階の展望階からの眺め(海雲台海水浴場と広安大橋)

バンケットで大連理工大学の全教授(右)と喬教授(後ろ)

バンケットで大連理工大学の学生(徐教授の研究室の学生)と

最終日は、視察ツアー。9時にバスでツアーに出かける。バスで1時間近くかけて、釜山空港近くの洛東江(ラクトンガン)河口の乙淑島(ウルスクト)にあるエコセンターに到着。洛東江は韓国の最長河川(全長525㎞)で、大白山脈に端を発し、朝鮮半島東部を南北に流れている。このエコセンターは釜山市が運営している。この島は多くの渡り鳥が飛来することで知られ、バードウオッチのメッカとなっている。生態系が保全され、多種多様な植物、魚、鳥類、哺乳動物が生息していることいで知られ、環境学習の場として活用されている。

洛東江の流域図(右上の丸印が水源)

エコセンターの展望室からバードウォッチング

エコセンターでの記念写真

その後、K-waterが管理・運営している洛東江河口堤防の見学に。この近くまで干潮域で、堰を設けることで海水の侵入を防ぎ農業用水を確保している。堰による生態系の分断を避けるために、堰上流での塩分濃度をモニターしながら堰の開閉を行っている。この堰の上流15㎞に釜山市の水道水源があるとのことで、河口堰上流の水質に大きな関心が集まっているとのことであった。

洛東江河口堤防事務所の歓迎看板

洛東江河口堤防と水門ゲート塔

洛東江河口堤防事務所の展望デッキから洛東江を望む

洛東江河口堤防を見学後、Lee先生の案内で洛東江河口の漁村(鳴旨)に向かい、地元で有名なアオヤギのシャブシャブの昼食をとった。

鳴旨(ミョンジ)での昼食(アオヤギのシャブシャブ)

28日の夕食はFarewell Party で、海雲台海水浴場に面したビルの地下にある、The Pary Premium Haeundae-guブッフェスタイルで行われた。韓国料理を始め、寿司、天ぷらの日本食、イタリア料理を楽しんた。このFarewell Partyで、優秀発表者7人の表彰が行われた。

次回の当番は中国。これまで大連理工だ学、山東大学での開催はあるが、次回はのワークショップの更なる発展を祈念して私と個人的に交流のある、東北大学か北京工業大学に開催をお願いすることで先生方の合意を得た。

優秀発表者とLee教授

29日、ホテルを7時半に出て、阪大グループと合流しジャンボタクシーで空港に向かった。ラッシュ時で余裕を持ってホテルを出たが、プロの運転で1時間で空港に。台風10号の影響か、機材遅れで出発が1時間延びて、4時間も出発ロビーで待つこととなったが、無事帰国することができた。

 

長居植物園のアジサイ

6月7日(金)に大阪市立の長居植物園に紫陽花の鑑賞に出かけた。長居植物園は24.2haの広大な大阪市立植物園で、アジサイ園、バラ園、ハナショウブ園など11の園があり、四季を通じて花々を楽しむことができ、大阪では人気の植物園。
正門を進むと大池が目に入る。左側の遊歩道を進むと左側に沢山の白い花が壁のようにキョウチクトウであった。

白い花をつけた夾竹桃
さらに歩道を進むとハナショウブ園で、多種多様なハナショウブが見頃を迎えていた。

藍草紙(あいぞうし、濃いブルー紫の花)

士清(ことすが、白地に紫の縁の花)

五月晴(白にピンクのぼかしの花)

ハナショウブ園右手の大池には、色とりどりの可愛いスイレンが見頃となっていた。

赤と黄色の睡蓮

さらに園内を奥に進むと目的のアジサイ園に。雨の多い季節に花咲く紫陽花なので、梅雨入りの遅れている今年は、心なしか元気さに欠けていた。園内を流れる渓流沿いに様々な種類の紫陽花が見頃を迎えていた。真っ赤なアジサイや、カシワバアジサイが印象的に残った。

可憐なポールズ・ヒマラヤン

伊豆の華(東伊豆で発見されたガクアジサイ)

宝石のようなマジカルルビーレッド


アジサイ園を一周した後、シャクナゲ園を通り過ぎダリア園に。色とりどりの大型のダリアが見頃であった。

ダリア園の全景

大輪のダリア

ダリア園を過ぎるとバラ園。バラ園の左側に沢山の紫の花をつけた大きな木が目に入った。初めて目にするジャカランダ。

ジャカランダの木

ジャカランダは中南米原産の高木で、ホウオウボク、カエンボクと並んで世界三大花木の一つ。下から見上げるとまさしく紫色の雲のようで、日本名の「紫雲木」が納得できる。
最後にバラ園を見る。盛りが過ぎたものが多かったが、いつも見慣れている大阪市中之島公園のバラ園とは違ったつる性のバラが見頃であった。。中でも、3m近くの紫色のプリンスチャールズが4-5株ひときわ目を引いていた。

プリンスチャールズ

一重の赤いつるバラ、カクテル(アランドロンの恋人、ロミー・シュナイダーに捧げられたバラとして有名)

植物園内にある「自然史博物館」と「花と緑と自然の情報センター」に立ち寄り、植物園を後にした。

熊本大学ベトナム同窓会の設立記念式典

2023年10月28日(金)に熊本大学ベトナム同窓会(Kumamoto University Alumni Association in Vietnam)が正式に設立された。ベトナム・ハノイ市のパンパシフィックハノイで、小川久雄学長、大谷順副学長、ファン・チュン・ギア・ベトナム元日本留学生協会(VAJA)副会長の出席もと、同窓会の設立式が執り行われた。この設立式に、熊本大学から出席の要請を受け出席した。
最初に初代の同窓会・会長に選ばれた、ハノイ建設大学・Lieu Tho Bach副教授(バッチ先生)から会長の挨拶があり、同窓会設立までの経緯の説明があった。

バッチ熊本大学ベトナム同窓会・会長の挨拶
次いで、熊本大学小川学長の挨拶があり、熊本大学の現況、国際化への取り組み、ベトナム熊本大学同窓会への期待が述べられた。

小川熊本大学学長の挨拶
来賓として、VAJA副会長のファン・チュン・ギア先生、ハノイ建設大学国際協力課のNghiem Ha Tan副課長から祝辞があった。

大谷副学長からバッチ同窓会会長へのCertificateの授与
これに続いて、熊本大学ベトナム同窓会から小川学長に記念品の贈呈があった。熊本大学自然科学研究科の修士課程を修了した、Nguyen Thi Hai Duongさん(Bach先生の奥さん)による熊本大学五校本館の水彩画である。

バッチ同窓会会長から小川学長への熊本大学五校本館の水彩画の贈呈
休憩を挟んで、大谷順副学長から、熊本大学の教育・研究・国際化への取り組みの説明があった。

大谷順副学長による講演

次いで、古川(熊本大学名誉教授、元熊本大学副学長)から、これまでのベトナムの大学との交流について詳しい紹介とベトナム同窓会への期待が述べられた。

古川による熊本大学とベトナムとの国際交流に関する講演

教え子のDo Phuong Khanhさん(ハノイ・オープン大学)から花束の贈呈

設立記念式典出席者の全体写真

式典の後、隣の会場でベトナム同窓会の設立をお祝いするバンケットが執り行われた。同窓会会長のバッチ先生の挨拶の後、古川の音頭で乾杯がなされ、懇親会がスタートした。

バッチ同窓会会長による懇親会での挨拶

懇親会での古川の挨拶

乾杯!!

会の終盤でビンゴゲームが行われ、ビンゴした同窓生からそれぞれ挨拶があった。

懇親会の会場での懇談の様子

Tran Thi Hien Hoaさん(ハノイ建設大学副教授)の挨拶

Pham Khac Lieu君(フェ科学大学副教授)の挨拶

Doan Thu Haさん(ハノイ水資源大学副教授)の挨拶

Luong Ngoc Khanh君(ベトナム建設省)の挨拶

Tran Thanh Liem君(ベトナム資源環境省)の挨拶

最後に、バッチ先生の一本締めで懇親会を終了した。

バッチ先生の音頭で一本締め

懇親会終了後、教え子と記念写真(左から、ファム君、カーン君、古川、ホアさん、ハさん、バッチ先生、カーンさん、リム君)

大神神社参拝

大神神社前を通過した際に立派な大鳥居を見て、いつか訪ねたいと思っていたものの、コロナ騒動で行く機会を逸していた。「おとな旅」を始め多くのテレビ番組で大神神社が紹介されたこと、大神神社の摂社に私の専門である水にまつわる神社・狭井(さい)神社があることから興味がますます高まっていた。
今回、薬師寺拝観の足で、大神神社を訪れた。大鳥居をくぐると左右に無料の駐車場。そこから徒歩で参道を進み、二の鳥居に。ここから拝殿までの鬱蒼とした坂道を進む。両脇には献灯が並ぶ。この状況は春日大社にそっくりである。

二の鳥居

拝殿への参道

拝殿前の石段を上がり、拝殿に。大神神社の御神体は、背後の三輪山で、拝殿越しに参拝する。

拝殿前の石段

大神神社の拝殿
その後、拝殿の左手の祈祷殿を超えて、狭井神社に。結構な登りの参道を進むと、神社前の鳥居に。狭井神社は三輪の神様の荒魂を祀っており、強い神の力を持つことから、病気平癒の神社として信仰されている。このことから、参道の両脇には製薬会社から献灯された灯籠が並ぶ。

狭井神社参道

狭井神社拝殿

拝殿で参拝した後、拝殿の左奥に進むと、病気平癒に霊験のある薬井戸がある。ここから出る水は三輪山から湧き出た霊水で、自由にこの霊水を飲むことができる。注ぎ口の上にあるボタンを押し、備え付けの紙コップに霊水を受ける。飲んでみたが、なめらかな口当たりであった。

薬井戸

丸いボタンを押すと霊水が出る

狭井神社の拝殿右手には、三輪山登拝口がある。登拝するには、9時から12時までの間に申し込まなければならない。

三輪山登拝口
狭井神社の参拝を終えて少し下った右手に、大神神社の末社である市杵島姫(いちきしまひめ)神社に。朱色の社殿は鎮女池の中島にある。この神社の御祭神、市杵島姫命で水の守護神とされる。

鎮女池

鎮女池のほとりに、三島由紀夫が揮ごうした記念碑があった。説明文では、古神道の研究で大神神社参拝や三輪山登拝をして大いに感銘を受けた三島が色紙に「清明」としたためとある。後日三島から寄せられた感懐には、「・・・・・大神神社の神域は、ただ清明の一語に尽き、神のおん懐ろに抱かれて過ごした日夜は終生忘れえぬ思ひ出であります。・・・」

三島由紀夫が揮ごうした記念碑
その後、参道を下り、駐車場に。駐車場から三輪山を一望できた。

駐車場から三輪山を望む
少し遅い昼食は、大鳥居から1㎞の三輪山本で。極細の冷やし三輪そーめんと柿の葉寿司を頂いた。

冷やしそーめん

薬師寺東塔・西塔特別公開

薬師寺東塔(国宝)の修復修理が終わり、落慶法要がこの平成5年4月21日に行われた。これに合わせて、東塔と西塔の特別公開(平成5年4月29日―平成6年1月15日)が行われていることから、10月2日(月)に写経の奉納に合わせて薬師寺にお参りしてきた。中村晋作(文化勲章受章者)作の「釈迦八相像」が新たに造仏され、東塔と西塔にそれぞれ四相像(計八相像)が安置された。この「釈迦八相像」が一般に公開され大きな注目を集めている。

駐車場から薬師寺正門への参道

世界遺産・薬師寺

東塔・西塔特別公開
東塔は平成21年より12年かけて、初めてとなる全面解体修理が行われた。これで、東西両塔を有する薬師寺大伽藍が完成したことになる。これまで、薬師寺は何度となく訪れてきたが、いつもどこかで修復工事が行われ、全面的な完成が待ち遠しかった。今回は天候にも恵まれ、早くに到着したことで観光客も少なく、壮麗な大伽藍をゆっくりと楽しむことができた。

改修を終えた東塔(国宝・白鳳時代)

西塔(1981年再建)

境内からの東塔の眺め

東塔(左)と金堂(1976年再建)

大講堂(2003年再建)

東院堂(国宝・鎌倉時代)

写経道場の前からの玄奘三蔵院伽藍(1991年建立)の眺め

食堂の裏で見つけたムラサキシキブ

釈迦八相像は、東塔には収められたお釈迦様の前半生をあらわした「入胎」、「受生」、「受楽」、「苦行」の四相像と、西塔に収められたお釈迦様の後半生を表した「成道」、「転法輪」、「涅槃」、「分舎利」の四相像からなる。お釈迦様の生涯を描いた彫刻の八相像は比類がないとのことである。公開は来年1月15日まで、拝観をお勧めする。

「受生」像(パンフレットから)

大阪で第15回AETEEジョイントワークショップ開催

「環境とエネルギーの高度工学技術(Advanced Engineering Technology for Environment and Energy : AETEE)」に関する国際ジョイントワークショップが、8月8日-10日、大阪大学中之島センターで開催された。(実行委員長:大阪大学池道彦教授、幹事長:井上大介准教授)古川は、このワークショップの創設者の一人として参加した。
このジョイントワークショップは、2008年に韓国・釜山国立大学の金昌元(Changwon Kim)教授と李泰鎬(Taeho Lee)が研究室の大学院学生を引率して熊本大学の古川研究室を見学したいとの申し出がきっかけとなっている。折角の機会なので、両研究室で学生の学生の研究を紹介するワークショップを開催してはとの私の提案に金教授が賛同して始まった。
第2回のワークショップは釜山大学で開催された。このワークショップで、金教授との雑談の中で偶然にも共通の友人が中国大連理工大学の全燮(Xie Quan)教授であることがわかり、全教授に参加を呼びかけることに。第4回の釜山大学でのワークショップには、熊大での私の教え子で大連理工大学の喬森(Sen Qiao)教授も全教授と一緒に参加し、大連理工大学がメンバー大学になった。2012年に古川が熊本大学を退官した後、日本側の幹事大学を大阪大学の池研究室にお願いし、継続してきた。日本側からの参加大学は池先生の呼びかけで、山梨大学の森一博研究室、遠山忠研究室、北里大学の清和成研究室が加わり、このワークショップが夏休みの恒例行事となっている。その後、私の研究仲間である中国・山東大学の倪寿清(Shouqing Ni)教授にも参加してもらい、第11回は2018年7月に中国・青島市で開催した。COVID-19 の期間中は、オンラインでされたが、3年ぶりに対面での開催となった。
台風6号の影響で気をもんだが、無事に開催された。

8日夕方には歓迎夕食会を開催。9日のワークショップは、午前9時から午後6時までの新築された大阪大学中之島センターのセミナー室で50人を超える参加者で実施された。

ワークショップの要旨集(左の建物が大阪大学中之島センター、右はあべのハルカス)

歓迎夕食会でワークショップの共同解説者である釜山国立大学金名誉教授と

開会式での古川の挨拶
研究発表は、Session 1では窒素除去(6件)、Session 2、4では藻類とバイオマス技術(12件)、Session 3では環境微生物学(6件)、Session 5高度処理技術(6件)合計30件の研究発表があり、活発な質疑御応答がなされた。

ウォークショップ後の集合写真

ワークショップ後のバンケットは、外国人に人気の梅田スカイビル36階の大阪駅周辺の夜景を楽しめる宴会場で立食で行われた。このバンケットの中で、優秀発表者7人の表彰が行われ、実行委員長の大阪大学池教授から、賞状と副賞が贈られた。

バンケットにて(左から金名誉教授、古川、全教授)

バンケットで(左から清教授、李教授、古川、池教授、倪教授)

11日のお別れ会で大連理工大学の喬教授(左)と
11日はテクニカルツアーで、日本一高いアベノハルカスで、地下のバイオガスプラント、中水道システム等を見学した。
次回のワークショップは、韓国・釜山で李教授のお世話で開催される予定である。

大阪造幣局の桜の通り抜け(2024年4月)

大阪造幣局の「桜の通り抜け」については、2025年4月の水めがね「大阪の桜」の中で紹介している。

大阪市民の春の楽しみである「桜の通り抜け」はCOVID-19の影響で、2020、2021年は中止となった。昨年から入場者を絞った状態で、桜の通り抜けが再開された。(事前にネットで希望の日時、参加人数を決めて申し込む)このところの地球温暖化で、桜の開花を予想することが難しく、満開の状態での「桜の通り抜け」になっていなかったが、今年は珍しく開花予想があたり、久しぶりに最高の開花状況での通り抜けとなった。(4月7日~13日)

4月9日(日)に選挙を済まし、13時半からの140年目となる「桜の通り抜け」に。天気も良く、日曜日なので、普段なら押すな押すなの状態になるが、人数制限のお陰でゆっくりと多種多様の遅咲きの桜を楽しむことができた。現在、大阪造幣局には140種、339本の桜が育てられている。今年の桜は「松月」。以下、珍しい桜を紹介する。

北門出口の近くにある「さくら名所100選の地」レリーフ

今年の桜「松月」(花は最初淡紅色で、次第に白くなる)

関山(園内で60本と最も多い)

紅時雨(紅色の豊かな花が特徴)

八重曙(淡紅色で芳香に富む)

春日井(奈良春日山にあった桜を佐野藤右衛門が接ぎ木育成したもの)

珠数掛桜(親鸞が桜の枝に数珠をかけられたという故事から名前がつけられた)

松前琴糸桜(桜研究家の浅利政俊氏が、無名の八重桜の大木の種子から作り出した桜。開花後紅色から淡紅色となる)

伊予熊谷(今年植えられた新品種。愛媛県土居町で栽培されている匂い桜の一種)

枝垂桜

大手毬(多数の花が手毬状態に)

長い歴史を持ち、多くの大阪市民に親しまれてきた「桜の通り抜け」。造幣局のすぐ近くに引越してきて11年。過去10年間、友人・知人を「桜の通り抜け」に案内してきた。通り抜けの主役「今年の花」は、17種類の桜から入場者の投票で決まる。令和6年の「今年の花」は? 楽しみです。

<参考資料:平成5年造幣局「桜の通り抜け」パンフ>

空中歩廊を使って熊本城を散策

コロナの第8波も収束傾向にあることから、1泊2日(2月27-28日)で熊本に出かけてきた。当初の予定では、28日は阿蘇方面に出かけ、復旧された豊肥線、国道57号線、阿蘇大橋などを見学する計画を立てていた。しかし、案内していただく友人の体調不良でこの計画がキャンセルとなったことから、28日は、復旧された熊本城天守閣と新設された空中回廊を見学することに変更。
宿泊する新市街のホテルから、すぐのサクラマチクマモトを経由して国際交流会館方面に。

再開発されたサクラマチクマモト(1階の奥にバスセンター)

加藤清正の銅像の向こうには、解体された馬具楼と崩れた石垣の跡。

加藤清正の銅像

地震で崩れた石垣と解体された馬具楼

石垣を修復する工事用のクレーンが見える。御幸坂を進むと、右手に組み立ての進む飯田丸五階櫓石垣の修復工事の様子が。飯田丸五階櫓は隅の石垣が櫓を支える「奇跡の一本石垣」で話題となった。石垣、櫓が解体され、昨年10月から石垣の組み立てが始まている。一日に10個程度の石しか組み立てられなく、1657個の石の組み立てが終わるのは来年の2月になるとのこと。

飯田丸五階櫓の石垣の組み立て工事の様子

さらに進むと特別公開南口に。平日にも関わらず、多くの観光客がチケット購入で並んでいた。階段を登ると、空中回廊に出る。この空中回廊は、復旧された天守閣へのルートとして、17億円(日本財団の寄付金を使用)かけて整備されたもので、今回は本丸御殿までの南ルート(北ルートは当日公開されていなかった)を利用した。この回廊(高さ6m、幅6m、全長350m)では、復旧工の様子や地震の被害の状況を高い位置から見学が可能となる。

以下、天守閣までの空中回廊からの写真を紹介する。

熊本城域マップの看板(今回は水色の南ルートを使った)

空中回廊

空中回廊からの数寄屋丸二階御広間の現状(上部石垣が崩落している)

修復を待つ石垣

飯田丸五階櫓の修復工事現場(手前の梅林は5分咲き)

崩落した石垣と修復された熊本城

本丸御殿の地下道出口が、南ルートの出口。ここを出ると、天守閣の建つ広場に出る。この日快晴で熊本城天守閣のいい写真が撮れた。

修復された熊本城天守閣

熊本城天守閣は地震から5年で修復され、2021年6月26日から一般公開が始まっている。天守閣に登るのは10年ぶり。見学用の階段が絨毯張りになるとともに、エレベータも新たに設置され、展示内容も一新されていた。宇土櫓の現状を紹介する。

天守閣から南方面の眺め。白いシートの下には修復を待つ石垣

4年かけて解体保存される予定の宇土櫓。地震で倒壊した宇土櫓の続櫓は部材の回収が終わっている。

熊本城全体の完全修復は当初2037年を予定していたが、予想以上に困難を極めていて、2052年になるとのこと。